学際的研究(のめんどくささ)

先端観光科学研究センターに移って、はや2ヶ月。
国際的に通用する先進的で学際的な観光研究の推進を目指して、いろいろな人と意見交換などなど模索中。

観光は20年前に一度区切りをつけた研究なので、個人的にはなかなかモティベーションが上がらない。「国際的」というのも、またかという感じ。地域に根ざした研究と実践を重ねていけば、結果的に国際的になっていくと思っていますが、いろいろな事情がある中、そうした理屈はなかなか通用しませんね。

一方、学際的研究や超学際的研究については、それなりに経験があるので自分の力を発揮できる場面もあるのかもしれません(最近の研究のほとんどは学際的あるいは超学際的なものです)。

ただ「学際的研究を進めることを目的」に議論が進んでしまいがちなことについて、少し懸念しています。たとえば研究費獲得、国際誌への論文掲載のための学際的研究するといった感じです。もちろん、研究費を獲得するのも国際誌に論文を掲載することも素晴らしい目標です。
そうとはいえ、「何のための学際研究か」が抜け落ちてしまうと、ただでさえ面倒くさい学際的研究を進めていくことは難しいと考えています。一般的に、特定の領域に適応し、そこで業績を上げることで研究者はキャリアを重ねていきます。あえて学際的研究をするのならば、自分の専門領域の強みを活かしながらも、専門領域からはみ出すことも必要となってきます。日本語で話していても、お互いの言葉がなかなか通じない。作法も方法論も違う。けっこうストレスだと思います。

それでも、なぜ学際的研究を進めるのか?

個人的には何らかの課題の解決を志向するならば、必然的に学際的にならざるをえないし、研究者だけではなく社会のさまざまな領域の人たちとの協働的研究と実践が必要となってくると思っています。課題は学問領域で分割されていませんし、研究者だけで解決できるものでもないからです。

 

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私は、野生復帰に「当事者性」をもってかかわるなかで、その時その時に問題になっていることに向き合い、私がかかわったこと、あるいは要請があったことへの対応の一つの表現形態として、論文や本の原稿を執筆してきた。本書は、そうした論文や本に寄せた原稿を、改めて一つの軸から再構成したものである。その意味で体系立てた研究の成果とは、いえないであろう。一貫性がないといえばないのだが、その分、コウノトリの野生復帰という問題の移り変わりや、私自身の変化がよくわかる。私自身の研究者としての生き方と本書の内容がクロスオーバーしているからだ。このことをデメリットではなく、メリットとしてとらえることで、総合地球環境学研究所が進めているトランスディシプリナリティ(超学際)研究にも貢献できると信じる。なぜなら、科学の学際的な研究に加えて、社会のさまざまな関係者との連携によって、人と自然のあるべき姿を模索する課題解決志向型のトランスディシプリナリティ研究は、何よりも地域の課題から駆動されるものであり、研究者の当事者性を抜きに形成できるものではないと思うからである。本書のいたるところに、私の当事者性が発露されているはずである(菊地直樹(2017『「ほっとけない」からの自然再生学:コウノトリ野生復帰の現場』京都大学学術出版会、p.24)。

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学際的研究は課題から駆動され、そこにかかわる人たちの「当事者性」も発露される。

 

そうであるならば、あらめて学際的研究、超学際的研究ってめんどくさいと思う。でもだからこそ面白い。

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