ほぼひとりごと

ふたたびエコツーリズム(データサイエンスとのコラボに向けて?)

「これまでにない文理医融合の学際的アプローチと国際的な共同研究、そして地域との協働によって、観光に関連する行動、移動、サービス、政策・制度について科学的に研究することを目的に設置されました。科学的な成果によって、観光による未来変革を先導し、観光の促進と地域の持続的な発展に寄与することを目指しています」(先端観光科学研究センターニューズレター2号)

 

所属先である金沢大学先端観光科学研究所の目的です。

ベタベタな質的な環境研究に取り組んできた私もデータサイエンス系とのコラボした観光研究を求められるようになりました。

 

大学院博士課程で環境社会学をひとり学び始めたとき、エコツーリズムを研究していました。たまたま本屋で見つけた『里地からの変革』(時事通信社)で紹介されていた高知県大方町(現在は黒潮町)の砂浜美術館の活動に興味を持ち、エコツーリズムとしてとらえて見ようとしたのです。日本でエコツーリズムが注目され始めたばかりでした。研究者としての本格的なキャリアはツーリズム研究からはじまったのです(以下のような論文を書きました)。

 

菊地直樹,1999,「エコ・ツーリズムの分析視角に向けて」『環境社会学研究』5

菊地直樹,1999,「『地域づくり』の装置としてのエコ・ツーリズム:高知県大方町砂浜美術館の実践から」『観光研究』10(2)

 

その後、就職した兵庫県立コウノトリの郷公園(姫路工業大学)において、コウノトリの野生復帰に参加することになり、エコツーリズムの研究からは遠ざかっていました。

 

とはいうものの、北海道知床半島のシマフクロウの観光利用、ジオパークにおけるジオツーリズム、エコミュージアム体験ツアーというように、細々ではありますがエコツーリズムのような研究にもかかわっていました。

また、2023年発刊の環境社会学会編『環境社会学事典』(丸善書店)では、「エコツーリズム」を担当しました。20年も前に少し研究していただけなので、とても意外な依頼でした(以下、関連する論文です)。

 

淺野敏久・清水則雄・菊地直樹,2023,「エコミュージアム・ツアーの意義と課題:東広島エコミュージアムにおける試行から」『エコミュージアム研究』28

菊地直樹,2022,「北海道知床半島のシマフクロウを『見せて守る』ための実践的課題」『保全生態学研究』(早期公開)

菊地直樹・山﨑由貴子・大谷竜・斉藤清一,2022,「ジオパークにおけるガイドの活動実態と意識に関する調査』『ジオパークと地域資源』5

淺野敏久・清水則雄・佐藤大規・菊地直樹,2020,「東広島市におけるエコミュージアム見学ツアーの需要」『広島大学総合博物館研究報告』12

 

これらは、地べたを這いずり回るベタベタ系のツーリズム研究とでもいうものです。「キラキラ」したデータサイエンス系とのコラボではないので、必ずしも所属先の研究所が期待しているものではないのでしょうね。なかなかムズカシイ・・・

 

最近、改めてエコツーリズムは、自然の保全と利用のサイクルを形成する重要な活動だと思うようになりました。この保全と利用のサイクルを可能とする社会の仕組みづくりという視点から、研究プロジェクトを立ち上げています(絶滅危惧種の「利用と保全」の順応的ガバナンス構築に向けた学際的研究」科学研究費補助金 基盤研究B)。

 

2023年3月、研究プロジェクトの仲間(生態学、造園学、環境哲学、環境法)とともに奄美大島を訪問。レジデント型研究者の調査で何度も足を運んだ奄美大島。今回の目的は、世界自然遺産登録されたなか、アマミノクロウサギをはじめとした野生動物観光の現状と課題を把握することです。

 

アマミノクロウサギなどを対象とした野生動物観光(ナイトツアー)は、生きものを守りながら自然の楽しむために、以下の利用ルールを設けて実施しています(実施主体:奄美大島三太郎線周辺における夜間利用適正化連絡会議)。

 

・WEBでの事前予約制

・野生動物観察ルールの順守

・エコツアーガイドの利用(有料)の推薦

 

参加したナイトツアーではクロウサギやアマミイシカワガエルといった固有種を観察することができました。ルールはある程度機能していると思いましたが、今回の調査では十分評価することはできません。ツアーガイドさんや観光客、地域住民の方々などからお話をお聞きする必要があると思います。今後の課題です。

 

少し気になったのは、ナイトツアーでは、アマミノクロウサギといった特定の動物に焦点があたり、それらの生態や生息環境、生態系といったものまで、なかなか視野が及ばないのではないかということです。よかれあしかれアマミノクロウサギが見れるかどうかに集中してしまうのです。

そこで、ナイトツアーで使用した道路を、生態学を専門とする方とともに昼間通ってみることにしました。アマミノクロウサギが道路に降りてくる道や糞を見ることができました。明るい昼間で姿は見えなくても(アマミノクロウサギは夜行性の動物)、その存在を感じることができたのです。姿が見えなくても、エコツーリズムなんでしょう(お金にはなりにくいかもしれませんが)。

夜見た場所を、昼も見てみる。昼と夜をセットにしたら、行動や生態を複合的に学べる環境教育的なプログラムになる気がしました。

ただ、昼も夜も行くのは、なかなか難しいと思います。そこで最新技術を使って、夜に昼の環境を、昼に夜に出没するクロウサギをバーチャルに体験できれば、自然にあまり負荷をかけずに、楽しく生態系を学ぶことができるかもしれないなと感じました。

 

アプリを使ったガイドさんによるモニタリングシステムなどもできたら、ガイドさんの活動が保全に活用され、保全されることにより、安定的な利用につながっていくかもしれません。利用と保全が循環する仕組みづくりです。

 

データサイエンス系とコラボするエコツーリズム

 

こういうことを考えても面白いかもしれません。

しかし、ただの思いつきのアイデアというか妄想にすぎません。

地域の人たちの関心や価値、課題とは何か?それらを把握することなしに提案することは、とても荒いやり方です。地域と協働する研究は、信頼関係なしに進めることはできないでしょう。だからこれは、ひとりごとです。

 

 

現場を歩くと、いろいろと刺激を受けますね。一人ではなく、異分野の人となら、なおさらです。

このことをあらためて確かめた奄美大島でした。

備忘録 山(とマラソン)

たまには仕事以外のことをひとりごと

雑文をダラダラ

 

「山は最高だ!」

 

2023年3月 残雪期の唐松岳

右手に白馬三山、左手に五竜岳と鹿島槍ヶ岳。息を切らし雪道を登りながら、ひとりつぶやきました。

 

 

金沢大学に赴任したのは2017年10月。

素晴らしい山々がすぐ近くにあることを知り、高校の修学旅行で訪れた上高地を30年ぶりに訪問。

梓川の清流と穂高連峰の雄大さに魅了され、本格的に山に登るようになりました。

 

【豊岡時代】(2013年1月まで)

友人たちと「山でも登ってみようか」という軽い気持ちから、氷ノ山(1509m)、扇ノ山(1309m)、千ケ峰(1005m)に登りました。

ダナーライト(世界で初めてゴアテックスを内蔵したブーツ)というおもにタウンユース用のシューズとオスプレイのケストレル(28ℓ)というザックで登っていました。初めて登山用ザックを担いだ時、「こんなに違うんだ」と感動しました。

氷ノ山に登った日は、ちょうど登山開きで、山頂で巫女さんがお神酒をふるまっていました。彼女たちも登ってきたんだよなあ。

氷ノ山はとてもキツかったと記憶しています。若かったけど、ほとんど運動していなかったからですね。

あとは兵庫県立コウノトリの郷公園近くの白雲山 剣蛇岳、三開山に登ったぐらい。

趣味になるかと思いきや、そうはならず。飽きやすい性格なのかもしれません。

 

【京都時代】(2013年2月〜2017年9月)

比叡山(848m)と瓢箪崩山(532m)のみ。

たしか、キーンのピレネーズというシューズだった。

比叡山から琵琶湖と京都市内を望みました。

出張も多かったし、心に余裕もなかったんでしょう。

山から遠ざかっていました。

 

【金沢時代】(2017年10月〜)

金沢に来てから、ふと上高地が意外に近いことに気づきました。

高校の修学旅行で訪れた河童橋。透き通った梓川の水流と穂高の山々(当時はそんな名前も知りませんでしたが)の残像。強烈な記憶として残っています。もういちど行ってみたい。

2019年5月の連休、およそ30年ぶりに上高地を訪問。明神までトレッキングしたぐらいでしたが、その風景は素晴らしく、一気に山の魅力に取り付けれてしまいました。

さっそく近くの登山用品店で登山靴を物色。イタリアのアロゾ(モンベルで扱っています)のファインダーというモデルを購入。道具から入り、泥沼化してしまうのはいつものこと(その後、登山靴やザックなど、けっこう色々な道具を購入・・・)。

 

ファインダーを履き、金沢市民から親しまれている奥医王山(939m)へ。梅雨時で蒸し暑かったけど登頂。砺波平野の散居村を見ることができました。

8月、黒部ダムを見に行く途中で立山室堂を散策。上高地に勝るとも劣らないその雄大な姿に感動。ただ、立山には登らず。

11月、奥飛騨温泉でバイトしている豊岡の友人に会うため小旅行。せっかくだし、西穂山荘(2367m)まで登ってみました。とても天気がよく、山の雰囲気を味わいました。京都時代の後半からジムに通い、運動が習慣になってたので、体力的には余裕あり。翌日は雨の中、上高地を散策。パンツが防水ではなく、雨に濡れ、風も強くとても寒かった。上高地であっても山を舐めたらアカン!そんなことを思い知りました。

 

登山が面白くなってきたところ、全世界がコロナ禍に覆われました。行動は制限され、山に登ることも憚れました。家に篭る日々。山に登りたい気持ちが沸々と湧いてきました。

コロナ禍での山登りとは? 自答。テント泊だったら密にならない!テントやら寝袋。またまた道具が必要です。

緊急事態宣言が解除され少し落ち着いた2020年8月、テントを詰めた60ℓのザックを担いで雷鳥沢キャンプ場へ。荷物は重かったですが、山で過ごす夜は格別。星がとてもきれい!

翌日、初めて登った立山(3003m)。一の越で見上げた立山。こんな急登を登れるのか!

実際はそれほどでもなく。素晴らしい展望に気持ちが癒されました。山ってすごい!

すっかり山に取り憑かれ、同月、テントを担いで白山(2702m)へ。昼にはテント場について、ビールを飲みながらゆっくり過ごす。夜は星空に感動。暗闇の中、クマに怯えながら、ご来光を望むために行動開始。初めてのご来光にまたまた感動。御池まわりや登頂後のビール。至高のひととき。

この年は、焼岳(2444m)に2回。1回目の焼岳は上高地からのアプローチ。有名なハシゴ場があったり、けっこう距離があり、なかなか大変。ガスで展望なく何も見えませんでした。ただ活火山の躍動を実感。クマの新鮮なフンにその存在を感じました、2回目は新中の湯温泉からのアプローチ。こちらは楽なコース。展望ばっちり。上高地を眼下に、穂高連峰、槍ヶ岳もよく見えました。

11月、西穂高岳独標(2701m)にも登るも展望なし。風が強く寒かった。展望は次の機会へ。

 

2021年からは雪山に挑戦。アイゼン(グリベル)と冬履(スカルパ)を購入。ピッケル(ブルーアイス)も。道具が好きだな・・・。

馴染みの登山店主催のツアーで福井県の取立山(1307m)へ。計3回登頂。いずれも天気がよく(というより、雪山はコンディションがいい時しか登らない)、山頂から目の前に広がる白山。3回目は、油断して、別ルートで帰ったところ、トレースがなく、かなり苦戦。ヤマップのアプリを頼りながらのルートファインディング。連れがスノーシューでトレースを作るも、アイゼンのみの僕は、つぼ足で進むことに。体力勝負となりました。消耗激しい。下山途中、出会った人から、冬は危ないルートだと教えてもらいました。無事に帰れたからいいものの、油断は禁物ということを実感。反省!

2022年4月には、西穂高岳独標にリベンジ。残雪期なので、山荘まではアイゼン。天気がよく、展望ばっちり。人が少なく、山頂を独り占め!

そのほかの雪山は医王山や上高地。天気が良い時は、とても冷たい空気と暖かい日差しのコントラストが心地いいです。スノーシューはいて歩く冬の上高地は最高です。

2023年3月、後立山連峰の唐松岳(2696m)。半年ぶりの登山。1年ぶりの雪山。体力的にはけっこうしんどかったですが、展望はバッチリ。白馬三山、鹿島槍が岳、五竜岳、剱岳。本当に素晴らしい。ただ日焼け止めを塗るのを忘れ、顔が真っ黒に。反省!

駐車場で、西穂高岳独標で知り合った人と偶然再会。リアルで会うのは、山で2回だけ。こんなことあるんですね。

改めて山は最高だ!

 

再び夏山に話を戻します。

2021年9月には荒島岳(1523m)。標高は高くないのですが、暑さもありかなりしんどかったです。一番しんどかった山かもしれません。

同月、薬師岳(2936m)。三大急登と言われる折立からのアプローチはそれほどでもなく。途中の太郎平小屋の名物、行者ニンニクラーメンと生ビールが美味。ビールが悪かったのか、それ以降ばててしまいました。雲海に感動。巨大なカールとご来光が素晴らしかった。初めての小屋泊。あまり眠れない・・・。苦手かも・・・。

10月、再び白山。今度は日帰り。行きは観光新道。展望がひらけていていい道です。急登あり、アップダウンありとなかなか厳しい。室堂でビールを飲んだら、一気にしんどくなり、体が動かなくなりました。休んでストレッチして、アミノ酸を飲んで回復。登山にビール!いいんだけど、僕には鬼門かも。

 

2021年12月、高松での法事の帰りに登った剣山(1955m)。とても登りやすい山で、やや拍子抜け。展望が素晴らしい。四国出身ですが、四国の山は鬼ヶ城以外で初めて。機会を見つけて四国の山を登りたい。次は三嶺かなあ。

2022年5月、仕事で関係している中海を上から眺めるため大山(1709m)へ。スイッチが入り、コースタイムの半分で登頂。ここもとても登りやすいです。肝心の中海は見れず。反対側は晴れていたんですけどね。次の楽しみにしておきます。

 

岩場は、まずは医王山のトンビ岩(2022年6月)。垂直に近い岩場が続きますが、鎖に頼り切らずに3点支持を守って慎重に登れば大丈夫でした。ただ、下山後、安心したからなのか、アイフォンをコンクリートに落とし、買い換えるハメに・・・。

 

同年8月、西穂高岳(2909m)。北アルプスの岩綾地帯の登竜門的なルートで、これまでの山とは危険度が違う。途中知り合いになった経験豊かな方々のアドバイスをいただきながらの山行。ガスってて高度感を感じなかったからでしょうか(僕は高所恐怖症)、無事登頂。山岳救助隊の人たちが訓練していました。よく事故があるルートなので、細心の注意が必要でしょう。展望なしも満足でした。次回のお楽しみです。

 

 

2022年9月には御嶽山(3063m)。雲上は絶景でした。雲の合間から乗鞍、笠ヶ岳、槍ヶ岳、富士山、白山などが望めました。

2014年9月27日。噴火当日、僕は開催の日本ジオパーク全国大会に参加するため、長野県飯田市にいました。大会が始まってまもなく、噴火の情報が流れ会場がそわそわしはじめました。火山学者たちが急遽、御嶽山に向かったことをおぼえています。それから8年、山荘の管理人から当時のことを少しお聞きしました。ご冥福をお祈りいたします。

2022年9月、再び立山。雄山から大汝、富士ノ折立、真砂山、内蔵助山荘、大走り、雷鳥沢という周回コース(山に詳しくない人はなんのことやらですね)。このコースも素晴らしい。バリエーション豊かで、展望、風景が抜群。氷河もあるし。特に雄山から先は、人が減り一気に静かになります。やや体力は必要ですが、おすすめです。この頃、論文執筆に追われていて、心の余裕はなかったのですが、立山に行き、とてもリフレッシュできました。すっかり山で癒されています。

 

この登山から1ヶ月後、なぜか金沢マラソンを走ることに。

別の機会に書きます。

 

唐松岳を登りながら、ひとり呟いた「山は最高だ!」という言葉

 

 

しんどい思いをしてなぜ登るんだろう?

非日常的な体験に魅力を感じているのかもしれません。自然の雄大さにただ圧倒されます。自分の存在の小ささを思い知らされます。

そんな僕にとっては、いい仕事をするためには、山に登ることが必要かなと思っています。いい仕事はしていませんが・・・。これは言い訳かなあ・・・。

一歩一歩あゆみを重ねていけば、いつかピークに達することができる。ということに魅力を感じているのかもしれません。

ライチョウと出会えた時は、ご褒美をいただいた気持ちになります。

ただ、僕はスピード重視の登り方(大体コースタイムの2/3ぐらい)なので、もっと自然との対話を大事にしたほうがいいかもしれません。

連れも山好きなのは、とてもいいことだなと思っています。一人で登ることも多いですが・・・

どこの誰だか知らない人と、自然に色々と話せることも魅力的です。

自分、自然、人との対話

 

いろいろ御宅を並べましたが、単純に好きで癒されているんでしょう

 

ちなみに、体は弱いです。子どもの頃は、月に1回は熱を出しうなされていました。よく学校を休んでいましたね。健康優良児のことを羨ましいとは思いませんでしたが、ぜんぜん違う人たちだと感じていました。

体育の成績は大体3ぐらい。短距離は遅いし、ソフトボールを遠くに投げられない。水泳は大の苦手。年1回の水泳大会が苦痛だった。球技と長距離は比較的得意でした。一応、中学時代はバスケットボール部でした。

 

今は喘息を患い、腎臓も少し悪いです。

 

ただ、40代半ばから、健康のためジムに通うようになり、体力は飛躍的に向上。

 

今は、体は弱いが体力はそこそこある(のかな)

 

そうそう、思い出しました。高校時代、一瞬だけ、登山部にいました。砂を詰めた重いザックを背負って校舎を駆け上りました。

登山部時代、先輩たちと鬼ヶ城に1度だけ登りました。あとは幽霊部員でした・・・。

鬼ヶ城登山。

ザックから、アルコールランプのアルコールが染み出し、お尻をやけど。

 

まるで、かちかち山

 

若い時から山とは縁があるのかな。

 

 

環境社会学会編『環境社会学事典』丸善書店 刊行

環境社会学会編『環境社会学事典』(丸善書店)が、2023年3月30日に刊行されました。

学会の総力を上げての作り上げられた事典です。
1項目見開き2ページの中項目事典なので、教科書的な使い方もできると思います。
1冊、26,400円です。正直高いので、個人で購入というよりは、図書館や研究室に置いていただければと思います。
 
ちなみに私は「環境アイコン」「レジデント型研究」「グリーンインフラ」「エコツーリズム」という四項目を担当。

どれも、環境社会学の王道という項目ではありませんが、こうした項目も事典に掲載されるということにも意義があるのかもしれません。

特集・グリーン化する社会の環境社会学

『環境社会学研究』28号の特集「グリーン化する社会の環境社会学−グリーンインフラとどう向き合うか」を担当しました。

僕は総説論文を担当。

以下の論文が掲載されています。

 

朝波史香・鎌田磨人「グリーンインフラとしての海岸マツ林の保全管理とローカルガバナンス──3地域の比較から見る政策的誘導のあり方」

佐々木惠子・一ノ瀬友博「阿蘇地域の草原維持に係わる労働力の閾値分析と求められる支援と対策」

高崎優子「創造的復興とグリーンインフラ」

茅野恒秀「グリーンインフラの環境社会学的分析視角──環境制御システム論の視点から」

 

少し前のことですが、環境社会学会の研究活動委員会の委員として、オンライン開催された第64回環境社会学会大会のシンポジウムの担当者となりました(2021年12月4日開催)。

学会シンポジウムのテーマを決めるのは、いつもなかなか大変です。

 

委員会で、案を出したら担当になるかもしれない。ある意味我慢比べみたいなところもあります。ある方が「グリーンインフラがいいんじゃないか」と発言。おそらく僕のことを念頭に置いていたと思います。僕が編者の『グリーンインフラによる都市景観の創造−金沢からの「問い」』をお渡ししていたからです。いつもの悪い癖で、「グリーンインフラいいかも」と乗ってしまいました。ヒョイひょいとテーマが決まってしまい、私がシンポジウムの担当になってしまったわけです。

 

環境社会学会は、大会シンポジウムと雑誌の特集を基本的に連動させます。つまりシンポジウムが特集になるわけです。したがって、半自動的に雑誌の特集の担当者にもなってしまいます。まあ、しばらく環境社会学研究に論文書いていないし、たまには貢献しなければという気持ちもあり。またグリーンインフラというテーマが環境社会学会で、どのように受けとめられるか、特に政策科学という点からも興味がありました。

 

ただシンポジウムの登壇者を探し、お願いするのは、やっぱり大変でした。旧知の人ばかりですが、特に異分野の人からすると、環境社会学会というよくわからない学会、あるいは怖そうな学会で報告したり、論文を書くのは、ややハードルが高いのかもしれません(ちなみに、僕は割と安請け合いというか、声をかけられたらホイホイ引き受けるので、異分野の学会での報告や論文執筆は割と経験しています)。環境社会学会で、グリーンインフラを研究している人はいないので、報告をお願いしたり、論文を書いてもらうのも、ご負担をおかけすることになり、なかなか大変です。

色々とありましたが、なんとか無事にシンポジウムを終え、次は特集論文です。

 

登壇者のみなさんは快諾され、締め切りの前後から原稿が届き始めました。僕は、それら論文を読んだ上で総説を書くという役割です。最後に書けばいいということで、甘えてしまい、なかなか執筆しませんでした。またいつもの悪い癖です。ギリギリにならないと書かない。とはいうものの、山に登っていても、いつも総説のことが頭をよぎっていました。総説なので、色々な論文をレビューする必要があります。久しぶりに、かなり勉強しました。改めて読んだ環境社会学の研究は、やはり面白く、とても勉強になりました。こうした機会があってこそ、僕のようななまけものは勉強するのでしょう。いよいよ書かねばならないと日を迎え、おおよそ3週間で書き終えました。ギリギリ間に合いました。

 

多くの方々にご迷惑をおかけしながら、なんとか脱稿。無事、出版となりました。

編集員のみなさん、出版社の担当者、特集論文の寄稿者をはじめ、多くの方々に感謝です。

 

この特集が、グリーンインフラや関連する分野の活性化、環境社会学と政策との接合に、少しでも貢献できれば幸いです。

シマフクロウを「見せて守る」原稿裏話

調査報告「北海道知床半島のシマフクロウを『見せて守る』ための実践的課題」『保全生態学研究』が早期公開されました。

 

シマフクロウ研究者の早矢仕有子さん(北海学園大学)から誘われ、シマフクロウを「見せて守る」ためのプロジェクトに参加したのは2013年のこと。コウノトリの経験を買われたのでしょう。一緒に知床を訪れるようになりました。初めてこの目でシマフクロウを見た時、その神々しい姿に力とても感動したことを憶えています。まさに神の鳥だと思いました。

 

シマフクロウの観光利用に関して、利害も価値も異なるいろいろな関係者がいる。ただ、そうした関係者がなかなか一同に会して意見交換する場がない。場がないから、いろいろな誤解も生じ、断片化し拡散してしまう。2015年9月、シマフクロウの観光利用に関するシンポジウムを開催しました。その様子は以下にまとめています。

 

早矢仕有子・中川元・菊地直樹・涌坂周一・田澤道広・高橋光彦,2017,「シンポジウム『知床・羅臼町でシマフクロウの観光利用を考える』報告」『知床博物館研究報告』39:49-66

 

関係者が一堂に会したシンポジウムは一定の役割を果たしたとはいえ、そうした場ではなかなか話せないこともあります。利害関係者に個別に話を聞くこともまた重要だと考え、2017年12月、5人の関係者への聞き取り調査を実施しました。
そのデータの一部は、2018年3月に神戸市で開催された第66回日本生態学会・自由集会「絶滅危惧種保全と観光利用共存のためにできること」(早矢仕さんが提案)で報告。生態学者にとっても興味あるテーマなのか、立ち見が出るほど熱気に包まれていたことを思い出します(おそらく、私以外の報告が注目されていた)。

 

自由集会が保全生態学研究の特集となることが決まり、報告者の一人として僕も原稿を書くことになりました。どうも僕は、依頼される仕事はあまり深く考えずに引き受けてしまうタイプのようです。なんとかなるだろうという気持ちでした。いよいよ(早矢仕さんの指令に基づき)執筆段階になると、ちょっと悩んでしまいました(遅い!)。

そもそも保全生態学研究という異分野の雑誌に、環境社会学の質的調査の報告がふさわしいのか。しかし、他に手持ちのものはない。聞き取り調査の結果は、何らかの形で公表し、多くの人と共有できるようにしないといけない。問題解決に向けて少しは貢献できるかもしれない。こうした内容が保全生態学研究に掲載されることにも意味がある。なるべく生態学者にわかるように心掛け、あとは編集委員会の判断にお任せするしかない。早矢仕さんなどと相談しながら、なんとか書き終え、投稿しました。

 

投稿したもののほぼ一年間、何も連絡はなし。忘れられたのかなあと思っていて、そうした思いも忘れた頃に査読結果が届きました。おそらく編集委員会も扱いに苦慮したんだと思います。やっかいな原稿にもかかわらず、とても丁寧に対応していただきました。投稿から公開まで1年10ヶ月もかかりましたが、編集委員会には感謝の気持ちでいっぱいです。

 

この原稿を執筆する過程で、早矢仕さんや同じくプロジェクトメンバーの高橋満彦さん(富山大学)とも議論し、結果として科研費「絶滅危惧種の『利用と保全』の順応的ガバナンス構築に向けた学際的研究」の採択につながりました。採択により、文字通り、私の首は繋がったのです。

 

異分野融合?

コロナ禍ということもあり、なかなか出張にいけません。ここ数年は、これまで行ってきた調査を原稿にすることに力を入れてきました。現場の人が使いやすいデータを早く公表することに意義があると考え、資料や調査報告として何本か公表しましたが、どこかスッキリしない気持ちもあります。
小さなことを着実に積み重ねていくことは、とても重要だと思う一方、もう少し大きなことに取り組んでみたいという気持ちが湧いてきています。ずっと宿題になっているレジデント型研究の研究を進めたい?今の私が取り組むテーマは何か?ずっと迷っている気がしています。
また、公表まで時間がかかりすぎていることもスッキリしない要因の一つかもしれません。主に投稿先の事務局の問題なのですが、事務局側の視点に立てば、異分野の原稿が投稿されてきた場合、取り扱いに戸惑うことも多いだろうと推測します。著者の私としても文章の形式や査読コメントの作法が異なっていたりして、戸惑うこと多々ありです。こうしたやりとりをしていても、まだまだ異分野融合の研究が定着していないことを実感しています。

私は、兵庫県立コウノトリの郷公園や総合地球環境学研究所などで、異分野融合型・実践的な研究プロジェクトに参加してきました。現在の所属先の金沢大学先端観光科学研究センターも異分野融合による観光科学を確立しようとしています。環境社会学を含む社会学は批判科学というアイデンティが強く、政策などとはなかなか接合してきませんでした。社会学の論文には個人の価値が反映され、研究は一人で完結することが多いため、そもそも共著論文自体が稀です。環境社会学は環境分野で一定の存在感を示す一方、異分野融合型の研究ではマイナーな存在のままなのは、こうした理由もあるのかもしれません。

コウノトリの野生復帰に参加し自然科学者や行政関係者と一緒に仕事を始めた頃、研究は基本一人でおこなうもの、批判性こそ社会学の強みであるという思いが強かったこともあり、戸惑うことばかりでした。ただ、現場で格闘しながら研究をすすめていると、少しづつ面白いと思ってくれる異分野の人が現れるようになり、色々と相談されたり、お誘いを受けるようになりました。相談されたら、あまり深く考えずに引き受けてしまう性格もあり、なんか、ずっとこんなことばかりをしている気がします。

大学は研究者に数値目標やコスパを求めます。論文数やインパクトファクターなどです。はっきり言って、異分野融合型・実践的な研究のコスパは悪いです(私の能力不足もありますが)。異分野、異業種の人とのコミュニケーションは、それなりにコストがかかります。投稿先が限られていますし、せっかく論文にしても評価されにくいことも多々あります。また論文を書いたら終わりではありません。成果を幅広く考える必要もあります。

それでも異分野融合や実践的な研究を進めるのはなぜか?
現実の諸々の問題を、なんとかしよう(「ほっとけない」)、解決したいと思うのならば、異分野異業種の人と一緒にした方が結果に結びつきやすいと思うからです。現実の問題は複雑であり、一つの学問領域で手に負えるものではありません。問題解決志向をもてば、ある意味必然的に異分野融合型になってくると思っています。現場は包括的なのです。複雑かつ包括的な課題に向き合う時、研究の網の目を変えることが重要だと考えています。専門分野(私の場合、環境社会学)の精度を上げるのではなく(網の目を小さくする)、異分野の人でも理解できること、実践に活かせることを重視するのです(ほどよい網の目にする)。専門分野では、あまり評価されないかもしれませんが(コスパが悪い)、互いの網の目がうまく噛み合えば、一人ではできない創造性が発揮される瞬間を味わうこともできます。

いろいろリクツを書きましたが、単純に刺激的で楽しいんですよ。異分野の人とのコミュニケーションは大変。だけど、相手を理解しようとし、問題を共有できれば、一気に創造的になります。自分の限界に気づき、異分野の人の強みもわかってきます。もちろん、相手の方も、自分の狭い専門領域を解放してお付き合いしてくれなければ、なかなか難しいですけどね。

相手あっての異分野研究、実践的な研究です。

 

認定NPO法人自然再生センター総会で基調講演

認定NPO法人自然再生センターの総会で基調講演を担当しました。

島根県と鳥取県にまたがる中海では、自然再生推進法に基づいた自然再生が進められています。自然再生センターは、中海で自然再生を推進するために設立された認定NPO法人です。

初めて中海を訪問したのは、2015年9月末のこと。環境省の研究会での私の講演に興味を持った同省の担当者から、「ぜひ中海で自然再生の社会的評価をしてほしい」との依頼を受けました。聞いてみると、NPOが事務局になっている自然再生であり、日本の自然再生の中でも特徴ある取り組みとのこと。お役に立てるかどうか自信はありませんでしたが、せっかくのお誘いなので、中海で自然再生の社会的評価ツールを使ったワークショップを行うことにしました。その内容については、以下の文献にまとめています。

 
菊地直樹・敷田麻実・豊田光世・清水万由子,2017,「自然再生の活動プロセスを社会的に評価する:社会的評価ツールの試み」宮内泰介編『どうしたら環境保全はうまくいくのか:現場から考える順応的ガバナンスの進め方』新泉社,pp.248-277

その後も、自然再生センターの人たちとは、一緒にツールを開発したり、一緒に各地でワークショップを開催したり、金沢で講演をお願いしたりと、色々とお付き合いが続いています。

今回は、上記のツールとは異なる視点から、中海の自然再生の基本的な考え方や活動について社会的評価させていただきました(評価というほど大したものではないのですが)。改めて資料を調べ、簡単な分析をしたところ、活動の手続きを大事にしていることから多くの人から受容されていることが見えてきました。

私の講演は不十分な内容でしたが、浚渫窪地再生の研究と実践をしている島根大学の先生から、自分の取り組みをとらえ直せたとの感想もいただきました。少しでもお役にたったのなら嬉しいです。
久しぶりの松江。楽しい知人たちが住む落ち着くいい街です。
また行きたいと思います。

若者たちの「問い」

10月30日・31日に開催された第6回コウノトリ未来・国際かいぎに出演しました。
ディスカッション「コウノトリも暮らすまちの未来」の進行役。10代から20代の各地の若者たちの声を聞こう、対話しようという内容。

 

この話をもらったのは、今年の7月だったと思う。
どんな対話をしたらいいのか?その時点ではあまり想像できませんでした。しかし、いつものように深く考えず引き受けてしまう(まあ、なんとかなるだろうと)。よくよく考えると、かいぎの締めくくりの未来に向けたディスカッション。けっこう重要なディスカッションなのです。

 

9月、勝手知る担当者とオンラインで打ち合わせ。
いったいどんな対話をどのように進めていくのか?
好きなように考えていい。担当者はそういう。
全国から集まる若者たちと面識はない。どんな人か全然知らない。
きちんとしたシナリオをつくりたくなるが、ここはグッと我慢。むしろ明確なシナリオをつくらず自由に語ってもらった方が、若者たちのリアルな思いが伝わるのではないか。僕が変なまとめ方をしない方がいいだろう。
 
 
ただ、何も仕掛けがいらないわけではない。そこで、共生や多様性にかんする自らの「問い」を考えてきてもらい、それを語り、「問い」について若者たちが語り合う。という内容はどうだろうか?
そう担当者に提案したところ、気持ちよく了承してもらいました。
僕が老化しているので、その場をうまくコーディネートできるかどうか、。それが心配でした。
 
 
前日(30日)、初めて若者たちと会うと、みんな緊張していて、顔が強張っている。そりゃそうだろう。知らないおじさんが進行する大きな会議の舞台にあげられるのである。つまらない冗談を投げかけながら、「問い」に正解も不正解もないので、恥ずかしがらず自分の思いを話してほしい、自分が感じたことを自分の言葉で語ることこそ、会場にみなさんに響いてくる。そんなことを話しました。
当日(31日)の楽屋でもみんな緊張していて、ある大学生は笑いながら「帰っていいですか?」という。僕も笑いながら「帰っていいよ」と返し、お互い笑う。進行役の僕も緊張してしまいそう。若者たちの思いをうまく引き出せるかどうか・・・。
 

終わってから、若者たちは「時間が足りなかったです。もっと話しかった」という。ほっとしている様子だし、少し自信に満ちた顔のようにも見える。若者たちの潜在力はすごいなあ。

 

FBに書いた当日の様子を紹介します。

 
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「未来」は不透明だが開かれている。地域(豊岡、越前、小山、雲南、野田)によって事情は違う。未来に向けた単純な答えはない。ではどうしたらいいのか、色々な変化に対応する能力を形成することが大事なのではないか?大事なのは答えを見つけることではなく、「問い」を立てること。そこで若者たちに共生や多様性に関する「問い」を立ててもらい、問いについて対話することから「つながり」をつくろう。そう試みました。
若者たちは、始まるまではとても緊張していた感じでしたが、いざ本番となると、自らの「問い」をよく話し、よく対話してくれました。
若者たちの問いが会場とオンラインで視聴していたみなさんと共有できていたら、とても嬉しいです。
「未来」は不透明だが開かれている。地域(豊岡、越前、小山、雲南、野田)によって事情は違う。未来に向けた単純な答えはない。ではどうしたらいいのか、色々な変化に対応する能力を形成することが大事なのではないか?大事なのは答えを見つけることではなく、「問い」を立てること。そこで若者たちに共生や多様性に関する「問い」を立ててもらい、問いについて対話することから「つながり」をつくろう。そう試みました。
若者たちは、始まるまではとても緊張していた感じでしたが、いざ本番となると、自らの「問い」をよく話し、よく対話してくれました。
過疎化と担い手をどうするか、自然保護と産業の両立はできるのか、コウノトリや自然のマイナス面とどう付き合っていけばいいのか、同じ地域での町と農村部の違いをどうすればいいのか、コウノトリが普通種になったらどのようにモティベーションを作ればいいのか、自然が豊かではない地域ではどのように活動していけばいいのか。
若者たちの「問い」が会場とオンラインで視聴していたみなさんへの「問いかけ」になっていたら、とても嬉しいです。
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学際的研究(のめんどくささ)

先端観光科学研究センターに移って、はや2ヶ月。
国際的に通用する先進的で学際的な観光研究の推進を目指して、いろいろな人と意見交換などなど模索中。

観光は20年前に一度区切りをつけた研究なので、個人的にはなかなかモティベーションが上がらない。「国際的」というのも、またかという感じ。地域に根ざした研究と実践を重ねていけば、結果的に国際的になっていくと思っていますが、いろいろな事情がある中、そうした理屈はなかなか通用しませんね。

一方、学際的研究や超学際的研究については、それなりに経験があるので自分の力を発揮できる場面もあるのかもしれません(最近の研究のほとんどは学際的あるいは超学際的なものです)。

ただ「学際的研究を進めることを目的」に議論が進んでしまいがちなことについて、少し懸念しています。たとえば研究費獲得、国際誌への論文掲載のための学際的研究するといった感じです。もちろん、研究費を獲得するのも国際誌に論文を掲載することも素晴らしい目標です。
そうとはいえ、「何のための学際研究か」が抜け落ちてしまうと、ただでさえ面倒くさい学際的研究を進めていくことは難しいと考えています。一般的に、特定の領域に適応し、そこで業績を上げることで研究者はキャリアを重ねていきます。あえて学際的研究をするのならば、自分の専門領域の強みを活かしながらも、専門領域からはみ出すことも必要となってきます。日本語で話していても、お互いの言葉がなかなか通じない。作法も方法論も違う。けっこうストレスだと思います。

それでも、なぜ学際的研究を進めるのか?

個人的には何らかの課題の解決を志向するならば、必然的に学際的にならざるをえないし、研究者だけではなく社会のさまざまな領域の人たちとの協働的研究と実践が必要となってくると思っています。課題は学問領域で分割されていませんし、研究者だけで解決できるものでもないからです。

 

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私は、野生復帰に「当事者性」をもってかかわるなかで、その時その時に問題になっていることに向き合い、私がかかわったこと、あるいは要請があったことへの対応の一つの表現形態として、論文や本の原稿を執筆してきた。本書は、そうした論文や本に寄せた原稿を、改めて一つの軸から再構成したものである。その意味で体系立てた研究の成果とは、いえないであろう。一貫性がないといえばないのだが、その分、コウノトリの野生復帰という問題の移り変わりや、私自身の変化がよくわかる。私自身の研究者としての生き方と本書の内容がクロスオーバーしているからだ。このことをデメリットではなく、メリットとしてとらえることで、総合地球環境学研究所が進めているトランスディシプリナリティ(超学際)研究にも貢献できると信じる。なぜなら、科学の学際的な研究に加えて、社会のさまざまな関係者との連携によって、人と自然のあるべき姿を模索する課題解決志向型のトランスディシプリナリティ研究は、何よりも地域の課題から駆動されるものであり、研究者の当事者性を抜きに形成できるものではないと思うからである。本書のいたるところに、私の当事者性が発露されているはずである(菊地直樹(2017『「ほっとけない」からの自然再生学:コウノトリ野生復帰の現場』京都大学学術出版会、p.24)。

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学際的研究は課題から駆動され、そこにかかわる人たちの「当事者性」も発露される。

 

そうであるならば、あらめて学際的研究、超学際的研究ってめんどくさいと思う。でもだからこそ面白い。

進学の問い合わせ

金沢大学で働きだして3年半。大きく変化したことは、教育が仕事になったことです。現時点では研究ポジションなので教育メインの仕事ではありません。それでも本務として講義やゼミを担当したり、大学院生の修士論文の面倒を見たりしています。学部ゼミは経済学類です。僕のところに来るのは、たぶん経済学にそれほど馴染めなかった学生さんたちなんだろうな。大学院ゼミは、地域創造学専攻で環境社会学を看板にしています。より僕の専門に近いことを伝えています。

率直にいって、けっこう楽しい。教育は苦手だと思っていたので、ちょっと意外でした(今でも得意ではありません)。
若い人が日々変化する姿に嬉しく思う。刺激を受けています。

ホームページを開設した時、以下の文章をアップしました(2018年3月30日)。

 

「一つは、大学で働きだしたからです。ちょっと恥ずかしい話を吐露します。赴任して1ヶ月が過ぎ、ゼミ生を募集することになりました。面接日を設け研究室で訪問を待つが、訪問者はなし。新任で授業を担当していないし誰も知らないだろう。とは思うものの、なんか釈然としないものが残ってしまいます。その一方、いきなり外国から研究生を希望する問い合わせがきたりします。大学に来たんだなと実感しました。もっとも外国からの依頼は数多くあるようで、珍しくもなんともないようです。それはともかく、教育機関に所属したからには、自分の取り組みをそれなりに伝える必要があると思ったのが、理由の一つです」。

 

大学院進学の問い合わせがたくさん来ています。多くは中国の方からです。
なぜ僕のところで学びたいの? と疑問に思う問い合わせが多いですが、ホームページをみて興味を持ったという方もたまにいます。

数としては圧倒的に少ない日本の方からは、僕の研究にかなり関心を持った内容の問い合わせがきます。

一方、金沢大学の学生さんは、あまりホームページを参考にしていないように思います。学部生の講義は、ゼミ配属が決まった後の2年Q4なので、そもそも僕のことを知らないのでしょう。

ホームページをみて、問い合わせをいただくことは率直にうれしいです。

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