ほぼひとりごと

ブックレット『グリーンインフラによる都市景観の創造−金沢からの「問い」』(公人の友社)刊行!

菊地直樹・上野裕介編(2019)『グリーンインフラによる都市景観の創造−金沢からの「問い」』公人の友社が刊行されました。

このブックレットは、私の所属先である金沢大学地域政策研究センター主催の国際シンポジウム「都市景観をグリーンインフラから考える−金沢市における活用と協働」(2018年8月31日開催)の主要な報告者が、シンポジウムの報告をもとに、一般向けに改めて書き下ろした論考を集めたものです。

 

1968年、金沢市は全国に先駆けて景観条例「金沢市伝統的環境保全条例」を制定しました。この条例以降、さまざまな政策をすすめ、人々の暮らしと一体となった都市環境が保全され、緑豊かな美しい街並みが整備されています。この金沢の大変先進的な取り組みが、最近国内外で注目されている「グリーンインフラ」という考え方と共鳴しているのではないか。あるいは金沢の取り組みから新たなグリーンインフラを創り提案することができるのではないか。この考えに基づいて、グリンーンフラの第一人者、金沢・石川在住の多様な分野の研究者、金沢市景観政策課、国連大学サステナビリティ高等研究所いしかわ・かなざわオペレーティング・ユニット、一般財団法人エコロジカル・デモクラシー財団との協力のもとシンポジウムを開催し、グリーンインフラの視点から都市景観を考えることを試みました。

 

このシンポジウムの特徴は、幅広い経験と知見、異なる方法論を持つ多様な分野の専門家、組織、市民との対話を実現したところにあります。シンポジウムは対話の場となったのです。

そして「金沢らしい」グリーンインフラを「問い」かけることにもつながりました。具体的には金沢の歴史的都市景観を構成する日本庭園や用水をグリーンインフラとして問い直すこと、その維持管理や新たな創生というテーマが見えてきたのです。組織を超えた柔軟なネットワークで多様な分野の専門知識や市民・行政の経験をつなげていくガバナンスをいかに創っていけるのか。まだ十分に調査ができているわけではありませんし、考察も不十分なところもあるかと思います。ただこのシンポジウムによって新しい視点が開かれてきたようにも思えます。

 

そこで「熱が冷めないうちに何か目に見える形にしよう!」と思い、急きょブックレットを刊行することにしました。2019年3月末の出版を目指し2018年11月頃から動き出しました。いくらシンポジウムの報告をもとにするといっても、本を刊行するにはあまりにも短期間です。でも著者のみなさんは、無理なお願いにもかかわらず、とてもいい原稿を寄せてくれました。無事に出版できたのは著者をはじめとする多くの方々のおかげです。感謝の気持ちでいっぱいです。

 

関心がある方は是非、手に取ってください。

1080円です。ちょっといいランチ1回分です。そう考えるとそんなに高くないですよね。

 

目次

はじめに(佐無田光)
第一部 グリーンインフラを学ぶ
・グリーンインフラとは(西田貴明)
・グリーンインフラを核にしたLivable Cityの創成(福岡孝則)
第二部 グリーンインフラから金沢の都市景観を考える
・都市型グリーンインフラと持続性:防災・環境・経済の統合(上野裕介)
・金沢グリーンインフラ・ブルーインフラの創出(フアン・パストール・イヴァールス)
・文化創造するグリーンインフラ:金沢の用水網の多用途性(飯田義彦)
・日本庭園とグリーンインフラ:相反か、相補性か(エマニュエル・マレス)
第三部 グリーンインフラから社会を創る
・グリーンインフラの順応的ガバナンスに向けて(菊地直樹)
付論:国際シンポジウム・エクスカーション報告(坂村圭)
おわりに(菊地直樹・上野裕介)

 

原稿が刊行されました

以下の原稿が刊行されました。

Kikuchi.N,2018, Co-creation of Local Values:Reintroduction of Oriental White Storks into the Wild. In:Tetsu Sato et al(ed) Transformations of Social-Ecological Systems:Studies in Co-creation Integrated Knowledge Toward Sustainable Futures, Springer,  pp.97-117

 

https://www.springer.com/us/book/9789811323263

 

2012年度から2016年度まで参加していた総合地球環境学研究所「地域環境知形成によるコモンズの創生と持続可能な管理」プロジェクトの成果本です。

 

自然保護官研修(環境省)

11月7日と8日、環境省の自然保護官(いわゆるレンジャー)研修に講師として参加してきました。場所は所沢市にある環境調査研修所。テーマは「合意形成」。じつはこの研修、講師として参加するのは3回目。

 

最初は2017年1月でテーマは自然保護の社会経済アプローチ(だったかな)。

2回目は2018年1月でテーマは合意形成。一般財団法人コ・クリエーションデザインの平田裕之さんと北海道大学の宮内泰介さんと僕が講師。

この2回は特設といって、40歳前後のベテランが対象の研修。

今回は30歳前後の若手。入省1年目とか2年目に、いきなり(単身で)現場に放り込まれて、いろいろと悩むことがあったり、戸惑うことがある人たちだと思います。今回も前回に続いて平田さんと宮内さんとのトリオでの参加。

 

8日の午後、僕が中心となって開発中の「環境活動の「見える化」ツール」を使ったワークショップ。

 

 

前半戦:テーマ設定と質問文の作成(チェックシートの作成)

 

テーマ設定

19人が4つのグループに分かれました。それぞれのグループで合意形成や協働にかかわるテーマを決めていきます。みなさん、同じ職種ですが、現場はバラバラだし、抱えている案件も人それぞれ。大学時代の専門分野も違います。それぞれの経験を語り合いながら、テーマを決めていきます。

 

質問文の作成

テーマが決まれば、それぞれのグループで、テーマに関連する質問文(自問するチェックリスト)を作成します。

ここでのコツは、なるべく簡潔にすること、やや曖昧な表現を入れて、個人によって解釈が分かれるようにすることです。

曖昧な表現とは、たとえば「積極的」とか「多様性」といった感じです。

「行政が活動に参加していますか?」よりも「行政が積極的に活動に参加していますか?」と表現します。「専門家は何人参加していますか?」ではなく「専門家の多様性は確保されていますか?」というように表現します。

よく、「積極的」って曖昧だから、よく分からないじゃかいか!と怒られます。専門家の多様性と聞かれても分からない!とも怒られます!でも曖昧だからいいんです。積極的の意味を自問自答していくことが大事であるからです。自分にとっての多様性を自問し、それを語り合うことが大事なんです。自分なりの解釈を暗黙的に使用していることが多い言葉や概念にまつわる主観を話し合うことが大事だと考えているからです。

 

1時間ほどで4つのグループでテーマと質問文も決まってきました。

「レンジャーバランスシート」

「地域とレンジャーの関係性」

「現場と中央の架け橋」

「協働得意レンジャー」

 

それぞれのテーマに沿った質問文は30から40ぐらい。

一部紹介しましょう。

「国の目線に立っていますか?」

「地元目線に立っていますか?」

「地元愛はありますか?」

「永住できますか?」

「積極的に色んな地域に入っていますか?」

「環境大臣何代さかのぼれますか?」

「地域の代弁者になれていますか?」

「地域と積極的に意見交換できていますか?」

「ライフワークバランスはとれていますか?」

「地域の子どもに名前を覚えられていますか?」

「地域の飲み会は楽しいですか?」

「気軽に相談に来てもらえますか?」

「相手の話をきちんと聞いていますか?」

「すべての人が発言しやすい雰囲気作りをしていますか?」

「引き継ぎをちゃんとしていますか?」

「心から謝ったことがありますか?」

 

うーん。おもしろい!

若い人の感性も入っているし、自然保護官ならではの悩みも入っている!

さすがだ!

とうなってしまいました。

 

 

後半戦:作成したチェックシートを使ったワークショップ

 

「ふむふむ(自己を振り返る効果)」

グループで作った質問文にしたがって、それぞれが○×をつけていきます。実は○×はそれほど重要ではありません。自分の考えとその理由を整理するためにつけていくものです。だから○であればよいというわけではありません。各自がつけた○×をもとにいろいろと議論し、よりより協働のあり方、よりよいレンジャーのあり方を各自が考えることが重要だと考えています。

 

「どれどれ(他者を知る効果)」

次に、その結果を持ちよっての対話です。多くの質問文の中から、自分たちが話し合いたいことを選んでいきます。今回は時間が短かったので7つ選んでいただきました(1つの質問文で5分話したら35分です)。40ある中から、どういう基準で選ぶのか。そこにも創造性があります。

 

「わいわい(お互いを認める効果)」

みんなでつくった質問文。結果をみてみると、かなり違っています。なぜ違うのだろう?その理由をお互いが聞き、話し合います。そうすると「えー、そんなこと考えていたの?」とか「意外と一緒だ」といったように、自然とコミュニケーションが促されていきます。具体的な話がどんどん出てきて、各自の体験が響き合い、対話が進みます。いろいろなところから、聞こえてくる笑い声。

 

「わくわく(活動のヒントを見つける効果)」

最後に全体共有です。4つのグループでの対話を報告してもらいます。

「現場の声の方が腑に落ちた」

「どちらかというと地域より」

「レンジャーが頑張りすぎると、地域の主体性が落ちる?」

「現場に対する思いがまだ見えない」

「まだ自信が持てない」

「公平に接することが本当に正しいのか?」

「国の代弁者となりえているか?」

といった問いが次々と生まれてきたことがわかりました。

時間がなく、全体共有を通して議論を進めたかったのですが、時間切れでした。

 

 

後日、参加者アンケートが送られてきました。

 

「同じグループでも考え方が異なる。色々な考えがあると思ったし、違いを認識して対話をしていこうと思った」

「レンジャー像について思っていることが見える化が出来てよかった」

「実際の会議でも活かせる手法を学べた」

「実際にリスト作成をするのは楽しかった。またリスト作成を通して、その問題点、本質的なものを見つめ直すこともできた」

「ワークシートをグループで作る作業が楽しく、他のメンバーの考えを知りながら作成できてよかった」

「設問に対する意見の違いから、新たな発見があり、面白かった。様々な場面で取り入れられる手法だと感じたので、業務チェック等に活かして行きたい」

「ワークシートを使って、質問を考えることは参考になりました。問いをたてていきたいと思いました」

 

おおむね好評だったようです。

この手法は、対話を通して、次の活動のヒントを見つけることを手助けするものです。そのような効果はあるのかもしれません。

 

 

いろいろな地域で、若い自然保護官が一人で切り盛りしている場面で出会うことがあります。若い自然保護官は、もっと頭でっかちで中央志向であると想像していたのですが、今回のワークショップを通して、現場や地域志向が強いなあと思いました。いろいろな「間」に挟まれ、若い人が担うにはちょっと無理がある仕事なのかもしれません。でもそうした「間」にあるからこと、現場と中央をつなぐことができる仕事でもあるとも思います。

 

これからも若くて能力もあって、やる気もある人たちの手助けができれば、とても嬉しいです。

 

帰りの新幹線で思ったこと。

30歳の頃の僕は何をしていたのだろう。兵庫県立コウノトリの郷公園に赴任したころだ。自然保護官と比べると随分と恵まれた環境だった。4人研究者がいたし。現場に入り込むわけでもなく、研究に突き進むわけでもなく。戸惑ってばかりだった気がします。今回の研修に来ていた人たちのような仕事はとてもできなかったなあ・・・。優秀だなぁあ。

 

お招きいただいた環境省の担当者、参加していただいた自然保護官、講師の平田さん、宮内さん、そして環境調査研修所の担当者に感謝します。

 

 

付録

今回のタイムスケジュール(3時間10分)

 

テーマ設定:15分

質問文作成:60分

休憩:15分

ワークショップ:60分

発表:全体共有:40分(各グループ10分)

 

論文が公開されました

以下の論文が公開されました。

菊地直樹,2018,「コウノトリの野生復帰と市民調査:順応的プロセスの視点から」『水資源・環境研究』31(1):23-29

ウェッブジャーナルで、公開から1年後にオープンアクセスとなります。

興味がある方は、ご連絡ください。

 

要旨だけ掲載しておきます。

 

 兵庫県但馬地方では、一度は野外で絶滅したコウノトリを飼育下で繁殖させ、生息環境の再生をすすめることにより、コウノトリの個体群を確立しようとする野生復帰が実施されている。2005年からコウノトリを野外に放し、現在では100個体以上が生息するにいたっている。野生復帰とはコウノトリを軸に多様な人びとが協働しながら自然とのかかわりと順応的につくりなおすプロセスである。豊岡市に拠点を置くNPO コウノトリ湿地ネットの活動の例から、野生復帰を順応的プロセスとして動かすために市民調査が果たす役割について考えてみた。市民調査とは何らかの当事者性をもった専門家ではない人びとが行う解決志向の調査活動であるが、その意義として第1に目線が多くなること、第2に市民目線の参加のルートができること、第3にデータが開放的であること、第4に順応的であること、第5に参加意識や当事者性が醸成されることを指摘した。

 

 

 

 

 

あいかわらず締め切りに追われて、急いで書いたもの。もう少し時間をかけて書けばいいのにと、ひとりごと。

国際シンポジウム「都市景観をグリーンインフラから考える:金沢市における活用と協働」を開催しました

 

8月31日、国際シンポジウム「都市景観をグリーンインフラから考える:金沢市における活用と協働」(於:しいのき迎賓館)を開催しました。

私が所属する金沢大学地域政策研究センターの主催で、共催は金沢市、国連大学サステイナビリティ高等研究所いしかわ・かなざわオペレーティング・ユニット(OUIK)。金沢大学地域政策研究センター、国連大学、石川県立大学の地域経済学、環境社会学、生態学、地理学、建築学などの研究者と金沢市景観政策課によって企画したシンポジウムには、雨が降るなか85名が参加されました。

シンポジウムは3部構成。

 

セッション1は「グリーンインフラを学ぶ」。

グリーンインフラとはなんでしょうか?

ここでは「多機能性という視点から自然を再評価することによって、持続可能な社会形成を目指した土地利用計画」ととらえておきましょう。

三菱UFJリサーチ&コンサルティングの西田貴明さんによる国内外のグリーンインフラ動向や施策を俯瞰する報告。データがたくさん示されていて、とても勉強になりました。まさにグリーンインフラの基礎講座です。
東京農業大学の福岡孝則さんから、グリーンインフラを核にしたLivable Cityの創成という視点から、住みやすい都市をつくるためのグリーンインフラのあり方に関する報告。グリーンインフラとは地域ごとに定義するものであり、緑の機能と質を高め、場所を共有し育てることが大事と指摘。コンパクトに暮らすことが、金沢のグリーンインフラの特徴かもしれないと思いました。Livable Cityの指標や美しい写真で紹介された先進地であるポートランドの事例なども興味深かったです。

ソウル大学の宋泳根さんからは、ソウル市のグリーンインフラに資する取り組みや自身が関わっている取り組みの時系列形式の報告。韓国におけるスピード感や予算投入の規模の大きさなどが、日本とは全然違っていて面白かったです。戦争で古いものが失われたソウルに対して、戦災や大きな災害に遭っていない金沢は、非常に恵まれていると思う一方で、古いものが残っているからこそ、大きく方向を転換することはなかなか難しいのかもしれないと思ったりしました。

 

セッション2は「金沢の都市景観をグリーンインフラから考える」。金沢在住の研究者を中心にした金沢のグリーンインフラに関する研究や取り組みを報告。
石川県立大学の上野裕介さんからは、防災・減災、環境、経済からみるグリーンインフラ。土地利用変化の分析などを軸に金沢での防災・減災、環境、経済から見るグリーンインフラに関する報告。旧市街地の都市景観が保全・再生される一方で、開発が進む金沢駅西口。この2つの現象はつながっており、とても政策的な課題だと思いました。
国連大学の飯田義彦さんからは、GISによる分析をもとにした金沢のランドスケープと生物文化多様性に関する報告。水、食、工芸といった金沢の暮らしが自然資本に立脚していること、用水の機能の変化、30年間にわたって用水で実践されてきたホタル調査なども印象的でした。金沢の都市景観は、より広域的なランドスケープと関係していることを実感しました。
国連大学のファン・パストール・イヴァールスさんからは、用水を活かした庭園の現状と協働的な維持管理、市内の空き地、空き家のマップを披露。清掃ボランティアも組織しながらの研究は、まさにレジデント型研究のあり方。空き地のデータ化は足で稼ぐとても地味で大変な調査。その研究姿勢から学ぶことがたくさんありそうです。庭園も空き地も所有者だけでは維持管理できないので、これから協働的な管理をどのように創っていくのか。コモンズの創生という課題も見えてきました。
奈良文化財研究所のエマニュエル・マレスさんからは、日本庭園を起点において、周辺部とのグリーンインフラ的なつながりを探求する報告。マレスさんとは、地球研時代に一緒に仕事をしていたのですが、今回初めて報告を聞くことができました。日本庭園の歴史研究からグリーンインフラという現代的な課題がどうつながっていくのか。マレスさんの今後の研究が楽しみです。
最後は、コーディネーターを務めた菊地から、グリーンインフラの順応的ガバナンスについて報告。グリーンインフラの特徴の一つである多機能性は、効率を求めて単機能化した行政施策には、基本的に馴染みにくい。グリーンインフラのもう一つの特徴は多様な主体が関わって管理、創造していく必要がある点にあります。このように、グリーンインフラを推進しようとすると、多機能なものを多様な主体が協働的に管理したり、生したり、創造したりしながら、多元的な価値を創造することが必要となってきます。そこで、将来のあるべき姿を多様な主体が議論し、取組を進めながら出来たことを評価しつつ絶えず見直していく順応的ガバナンスで進めていくことを提案しました。順応的ガバナンスとは「不確実性の中で、複数の価値基準を重視して制度や目標、担い手を柔軟に変化させながら試行錯誤していく協働の仕組み」と考えています。順応的に進めることは、バックキャスト的に進めていくことでもあります。私の報告はラウンドテーブルに向けた論点の整理でもありました。

 

第3部は「ラウンドテーブル」。

会場の参加者も交えての総合討論。東京工業大学/エコロジカルデモクラシーの土肥真人さんからは、前日のエクスカーションの報告。エクスカーションで見て聞いたことをきちんと形にして共有することの大事さを学びました。国交省の舟久保敏さん、環境省の岡野隆宏さん、金沢市都市整備局長の木谷さんのコメント交えながら議論。討論の中では、金沢を流れる用水には数百年にも及ぶ歴史があり、グリーンインフラに特別新しさを感じないという意見もでましたが、バックキャストの視点から金沢を見るとき、たとえば用水といった既存のインフラの質を自然と文化の融合、農村と都市のつながりという視点から高めていくこと、街中の空き地や空き家をグリーンインフラ的に再生・創生していくことなど、いろいろと方向性は見えてきたように思います。そのためには、土地の所有者を含めた多様な関係者の協働が不可欠です。順応的ガバナンスの創造が、改めて重要な課題だと確認しました。

コーディネーター(菊地)の力不足もあって、必ずしも論点が深まることはなかったかもしれませんが、金沢でグリーンインフラという視点から金沢の都市景観や環境、暮らしを考えていく意義は共有できたように思います。最後に、同志社大学の佐々木雅幸さんから、研究者はもっと自信を持ってグリーンインフラの意義を強調して欲しいとの叱咤激励。

 

懇親会では、金沢グリーンインフラ研究会(仮称)を立ち上げよう、金沢でグリーンインフラを実践しようという発言が相次ぎました。個人的には、今回のシンポジウムの目的は、共同研究や実践の場をつくるきっかけづくりだと考えていたので、いい流れになったと思っています。

 

今回のシンポジウムのスタッフのみなさん、登壇者のみなさん、シンポ参加者のみなさん、本当にありがとうございました。
昨年の12月頃から、温めてきた企画。ようやく終えることができて、担当者として今はほっとしていますが、大事なのはこれから。まずはシンポを本か何かにまとめたいと考えています。そして組織横断、分野横断、領域横断の研究会を立ち上げ、グリーンインフラプロジェクトを進めていこうと思います。

これからもよろしくお願いします。

 

コウノトリ野生復帰の新たな目標を考える

今年度から、兵庫県豊岡市の「コウノトリ野生復帰の新たな目標を考える懇話会」の座長を務めることになりました。

 

メンバーは20代から60代までの男女11人。コウノトリ野生復帰の舞台にあまり登場してこなかった人たちです。ちなみに僕以外のみなさんは豊岡在住です。

 

そもそも、なぜ、いま、新たな目標設定なのでしょうか?

 

5羽のコウノトリが豊岡の大空に放たれたのは、2005年9月24日のこと。2007年には繁殖に成功。その後順調に数は増え、いまでは100羽以上のコウノトリが豊岡をはじめとする日本各地の大空を舞っています。こうして振り返ると、野生復帰は「大成功」といっていいでしょう。
コウノトリ野生復帰が本格的に動き出したのは1990年代に入って間もなくの頃。飼育下繁殖の成功をうけて、元々の生息地にもどそうということになったのです。当時、僕はこの取り組みを全然知りませんでしたが、コウノトリ野生復帰なんて「ホラ話」に近いものとして受け止められたのではないかと推測しています。でも、兵庫県や豊岡市、文化庁、研究者、政治家、地元の関係者らの熱意と尽力によって、1999年には兵庫県立コウノトリの郷公園が開園。2002年には豊岡市コウノトリ共生課が設置。郷公園やコウノトリ共生課を拠点に多様な関係者による取り組みが進み、2005年の放鳥となったのです。

 

これだけ短期間で「ホラ話」に近いことを実現した。

 

コウノトリを軸にして、人と自然のかかわりを創り直す取り組みが多方面で進んでいて、いつしか世界的な先進事例として注目されるようになりました。このプロセスにおいては、兵庫県や豊岡市といった行政、郷公園の研究者といった人たちが果たした役割は大きかった。誤解を恐れずに強引にまとめると、強烈な行政主導が機能したからこその「大成功」だったと思うのです。もちろん、農家や市民が果たした役割もまた大きかったのですが、行政がイニシアティブを発揮し絵を描いていたからいろいろなことが実現した。変化を好まない前例主義の行政が、世界的にみても全く新しい取り組みを主導した。ここにポイントがあると思っています。

 

たしかにコウノトリは野生復帰した(もちろん、まだまだという評価も可能でしょう)。

 

しかし、行政主導で短期間ですすめたがゆえに、「副作用」もいろいろと現れているのではないでしょうか。「コウノトリは行政や研究者がやるものだ」「コウノトリ、もういいんじゃね」。10年以上たっても、コウノトリにかかわる人は増えないし、いつまでもあまり変わらない顔ぶれだ。どんどん高齢化していて、次世代がいない。コウノトリが飛んでいても気にならなくなった。政策の中心課題でもなくなってきた。こうしたことはじんわりくるので、とてもわかりにくい。

 

野生復帰は、豊岡に暮らす市民の問題とはなりえていなかったのではないか?

 

野生復帰という「祭り」はいったん終わり、いまやコウノトリは当たり前の存在になってきました。僕は、拙著『「ほっとけない」からの自然再生学』で「生活化」という概念を用いて、コウノトリを派手なアイコンとして外向きに使うだけではなく、市民の暮らしの中で意味づけていくことが課題と論じたことがあります。だから、祭りが終わったこと自体は悪くはないと思う。もう祭りは、そんなにいらない(たまにあるから祭りなのだ。そのうち、また祭りが必要になってくるだろう)。一見「大成功」している今だからこそ、冷めている今だからこそ、当たり前になった今だからこそ、もう一度、市民にとってのコウノトリの位置づけを考える時期ではないか。そこから人と自然のかかわりを創っていく。地域での暮らしを考えていく。

つまり、コウノトリの「生活化」というプロセスをどのように動かすことができるのだろうか。

 

こんなことを考えていたら、豊岡市長から声がかかりました。一緒に新たな目標を考えてくれ、と。
行政主導で考えるというこれまでと同じ問題を抱えながら、なるべく多くの人たちと対話をしながら考えていきたい。

 

先日の第1回目の懇話会では、五感を軸に大事にしていきたい風景を話してもらうワークショップをおこないました(日本自然保護協会の「人と自然のふれあい調査」を参考にしました)。初対面の人が多かったのですが、いろいろな話が次から次へと出てきて、時間内では語りつくせないほどには盛り上がりました(もっとゆっくり進めたほうがいいと反省)。

ワークショップのなかで、コウノトリは主役ではなかったけど、多様性を構成する一員ではありました。そして豊岡の自然、人と自然のふれあいの豊かさも再認識できました。

 

はたして、みんなでどんな目標をつくることができるのか。

 

とても難しい仕事だけど、ちょっとワクワクしています。

ジオパークと環境活動の見える化ツール

環境活動の見える化ツール。

少しずつ問い合わせがきています。

先月はジオパーク関係の会議で紹介しました。このツールは、おもに自然再生活動を念頭に置いたものですが、ジオパークでも使えそうです。とくに「活動に取り組んで、こんなことを感じたことはありませんか?」という問いかけは、急激に広がったジオパークに当てはまるものかもしれません。

 ・なんとなく活動が停滞している

 ・仲間を増やしたい

 ・お互いの考え方がよくわからない

 ・自分たちは何を目指しているのだろう

 ・もっと活動を活性化したい

 

一つは5月18日に開催されたジオパーク新任者研修。今年度ジオパーク関係部署に着任した主に行政職員を対象とした研修です。質疑応答の時間がほとんどなかったので、反応はよくわかりませんでした。このツールは活動をある程度進めるなかでぶつかった悩みを考えるものなので、新任者研修の話題としては、あまりふさわしくないのかもしれません。

 

もう一つは5月19日のジオパークネットワーク運営会議。日本ジオパークネットワークに加盟している関係者が集う会議です。この場を借りて、ここ数年何らかのお話をさせていただいているのですが、今年はツールを紹介しました。会場の反応はけっこうよくて、質問や問い合わせも複数ありました。どこか実践することになりそうです。

 

ジオパークに限らず、これからいくつかの活動でワークショップを行う予定です。

実践のなかで、ツールを育てていこうと思います。

 

ジオパークの会議で使用したスライドの一部です。

 

環境活動の見える化(PDF)

 

 

初めての実戦! 環境活動の見える化ツール

 

「なかまと話そう! 環境活動の「見える化」ツール」を使った話し合いを行いました。このツールができて初めての実戦です。

場所は新潟県佐渡島。

参加者はここで活動している佐渡島加茂湖水系再生研究所(通称カモケン)のメンバー7人。

費やした時間は2時間半ほどでした。

 

○話し合い

まず最初に、カモケン(新潟大学)の豊田光世さんから、今回の趣旨説明。私からはツールの説明。説明はそこそこに、早速記入していただきました。

 

【ふむふむ効果】

40の質問は難しいかな?と思っていたのですが、それほど難しくはないようです。10分ぐらいで記入終了。
データを急いでエクセルに入力。この作業がけっこう時間がかかるし、間伸びしてしまう。なんかいい方法はないのだろうか。

 

【どれどれ効果】

その結果をプロジェクターを使って投影。みなさんに示す。人によって、回答が違うことが一目瞭然。この方法はけっこう新鮮だったようです。

 

【わいわい効果】

ここからが大変。40ある質問から話し合う質問をピックアップしていく。どれをピックアップしていくのかは、その場で決めます。回答傾向を見て、参加者で意見が分かれている質問、意外と一致している質問、話し合った方がよさそうな質問。頭を巡らせます。

ピックアップした質問を取り上げ、「はい」か「いいえ」(か「わからない」)をつけた理由を聞いていきます。こうすることで話しやすくなると考えています。話し下手、声が小さい人でも話しやすくなると思います。

私は、みなさんになるべく同じように聞いていきます。「「はい」とつけた理由を教えてください」と。

すると、いろいろな理由・意見が声となって出てきます。いろいろな疑問が出てきます。疑問が出てきたら、そのことを質問したり、みなさんに問いかけたりします。もちろん参加者同士でも話し合いがおこなわれます。

「地域」ってどこなの?「関係者」って誰?「積極的な参加」って何?「提案」ってどういうこと?「フィードバック」するってどういうこと?

こうしたことは、それぞれの人のなかで考えがあると思います。でも改めて話すことが少なく、他の人の考えを聞くこともなかなかありません。自分の理由を話し、他の人の理由を聞くことから、自分の当たり前を問い直し、お互いの理解に結びくこともあったようです。

 

【わくわく効果】

今回は、カモケンの関係者は誰か、どうすれば人びとの参加をうながしたり、なかまを増やすことができるのかという点を確認できたように思います。

 

○ちょっとした検証

4つの効果は、それなりにあったと思います。

話し出すと、みなさんけっこう話します。一つの質問について、少なくとも10分ぐらいの時間は欲しい。すると10ぐらいの質問しか取り上げることができません。現在のシートには40質問があります。こんなに必要なのかな?もっと少なくしたほうがいい?いや40ぐらいあって、その中から話し合うものを即興で絞っていくほうがいい。そのほうがいろいろな活動に対応出来る?

このツールを使って、これまでと違うコミュニケーションが生まれたけど、【わくわく】まではなかなかいかない。別のツールが必要かな?と思ったりします。

また参加者の変化をはかることが大事だな。これはアンケートを作成しよう。

効果と課題も見えてきました。これからもこのツールを使って話し合いをすすめていこうと思っています。

環境問題の主体のあり方について

 先日、前の職場である総合地球環境学研究所から冊子が送られてきました。高知県長岡郡大豊町怒田(ぬた)での経験を通じて、地域社会への貢献や学術的な発見につながる過程を記録した冊子だそうです。その中の一文を紹介しましょう。

 

「『私』は言語によって定義される。同じ『私』でも、それを主体と言った時と、自我と言った時、その様態は異なる。近年、環境問題を巡って、これまで見逃されてきた主体のあり方に注目が集まっている。菊地直樹はコウノトリ野生復帰の現場で『ほっとけない』という受け身でありながら主体的な姿勢を見出し(菊地2017)、林憲吾は環境保護に半身で関わるという『ためらい』というあり方を建築・都市計画の現場から発見し(林2017)、寺田匡宏は『巻き込まれ』という状況へのコミットのあり方の特質を災害や開発にかかわる人類学の現場から抽出した(寺田2017)。それらは、哲学の國分巧一郎が注目する中動態とも通じる、受動と能動のはざまにあるあり方である(國分2017)。環境学研究においては、アンソロポシーン説の登場など、だれがこの地球の主体かという問題が問われている。それは、従来の、主体/客体の二分法を再考することを求める。その二分法とは、受動と能動を截然と区分する近代ヨーロッパ語の構築したものでもある。とするなら、受動と能動という区分のあり方を再考させる日本語における主体のあり方は、グローバルに見て地球環境学問題の解決にある一つのヒントを与えることになるのではなかろうか」(寺田匡宏,2018,「能動/受動と環境主体性」地球研若手研究員プロジェクト編『超学際主義宣言:地域に人をどう巻き込むか?』総合地球環境学研究所)。

 

引用文献

菊地直樹(2017)『「ほっとけない」からの自然再生学:コウノトリ野生復帰の現場』京都大学学術出版会

林憲吾(2017)「環境保全をためらう理由」『平成28年度総合地球環境学研究所所長裁量経費報告書』総合地球環境学研究所

寺田匡宏(2017)「援助の姿勢を考える:書評:石山俊『サヘールの環境人類学』、清水貴夫『ブルキナファソ』」『Humanity & Nature』66

國分巧一郎(2017)『中動態の世界:意志と責任の考古学』医学書院

 

 

 寺田さん(歴史学)、石山俊さん(文化人類学)、三村豊さん(建築史・都市史)の3人の研究者が環境問題に関連する主体のあり方を論じているこの冊子。石山さんは6人称の研究を提唱し、三村さんは環世界という態度という視点を提示し、寺田さんは能動/受動という二分法的認識論を問い直しています。

 地球研は、国内外からさまざまな分野のさまざまなフィールドを研究してきた老若男女の研究者たちが、期間限定的に集う場です。4年8ヶ月いたわたしは、まあまあ長く在籍したほうでしょう。当初、地球研の落ち着きのなさや大風呂敷を広げる地に足がつかないかのような研究スタイルに違和感をもつこともありました。ただ今になってみると、いろいろな人と出会ったことが財産になっていると実感しています。

 寺田さんが引用してくれているように、わたしは「ほっとけない」という受け身でありながらかかわっていく主体性のあり方から、そして研究と実践という「はざま」にある研究のあり方から、環境問題を考えていこうとしています。その流れのなかから「日本語から考える環境のことば」という視点から総合地球環境学を創っていくアイデアも芽生えてきました。この冊子を広げた時、同じようなことを考えていたんだ!と、ちょっと嬉しい気持ちが湧いてきました。専門は違うし、フィールドも違う。寺田さんは理論的に考えることができるけど、わたしはフィールドから考えていくことが得意だ。経験も違うし、スタンスも違う。だけど共通の議論を行うことができる。

 環境問題をめぐる主体のあり方は、特定の学問にとどまる問題ではないでしょう。いろいろな学問をいわばサラダボールのようにごちゃ混ぜにし、そこから環境問題の解決に資する主体のあり方、そして研究のあり方を創っていく。こうしたことを考えていくためには、ある程度ゆるやかでいろいろと隙間があるネットワークの方がいいのかもしれません。その方が創造性を発揮しやすいこともあると思うからです。

 期間限定的な研究者の集う場の役割の一つは、ゆるやかなネットワークを創ることにあるのかもしれません(そこで仕事をするのは大変ですが)。

Webデザイン

 このWebサイト。もちろん、絵心がない僕がデザインしたわけではない。餅は餅屋である。プロにお願いした。

 僕からデザイナーへのリクエストはいたって単純。載せたい情報はこれとこれとこれ。トップページには「環境活動の『見える化』ツール」をおきたい。なるべく親しみやすいページにしてほしい。少しだけ僕の研究活動について話した。打ち合わせに要した時間は10分か15分ぐらいだった。

 後日、送られてきたデザイン案を見たとき、「プロだな」と唸った。僕の研究活動が伝わるデザインとして表現していたからだ。

 とても気に入った。ただ、ちょっと柔らかすぎる気もした。「もう少し直線的な案もみたい」とメールでリクエストすると、まったく違うものが提案された。どっちも気に入ってしまった。迷った。どうしよう。けっきょく直感で決めた。後から提案されたのが今のデザインである。僕からのリクエストは短くシンプルであったため、説明不足で迷惑をかけたと思う。

 

 地球研の飲み会でのこと。ある若手研究者から「菊地さんはデザイナーと協働したほうがいいですよ」といわれたことがある。僕の仕事を違う表現で伝えていったほうがいいという趣旨だったと思う。「自意識過剰系のデザイナーとは特に相性が悪いんだよね」と返したように記憶している。「俺が」「私が」と自分のアイデアやデザインを強いてくるデザイナーは、どうも苦手なのである。

 勝手な想像そして浅はかな理解であるが、自分の内なるものを表現する人が芸術家だと思っている。その作品は商売になることもあるが、ならないこともあるだろう。それに対してデザイナーにはクライアントがいる。クライアントの話をよく聞きながら、でもクライアントだけでは表現できないものを創っていく。デザイナーは、協働作業をする仕事なんだと思う。ここでは、デザイナーの「私」は少し後ろに引いている。でも「私」が表現されていないわけでもない。

 「研究対象者」といわれる人びとはたんなる対象者ではなく、一緒に考える存在と考えれば、研究者もデザイナーに似ているかもしれない。もちろん「対象者」はクライアントではない。一般的に研究者の方が、力が上のことが多いだろう。だから単純に比べることはできない。でも、人びとの話をよく聞きながら、人びとだけでは見えないものを見えるようにしていく。そして人びとが使える知的資源としていく。こうした協働作業は、研究活動のなかにいろいろとあるはずだ。そこから研究者はいろいろなことを学んでいるはずだ。こういうと「研究とはもっと崇高なものである」「御用聞きみたいなことは研究ではない」と怒られそうだ。

 

 

 こんなことを書いている僕は「自意識過剰」なのかもしれない、です。

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