第一回 のと里山里海カフェ(10/25)報告
開催日時:2024年10月25日(金)18:30〜20:30
開催場所:石川県立図書館研修室
話題提供者:伊藤 浩二さん(岐阜大学)
テーマ:のとの里山里海と私たちの未来
参加者数:39名(一般参加者31名+スタッフ・関係者8名)
【話題提供】
話題提供者である伊藤浩二さんは、2008年から金沢大学の一員として、能登里山里海SDGsマイスタープログラムという社会人向けのプログラムのスタッフをしていました。生態学を専門とする伊藤さんは、社会生態システムの持続可能性の研究に従事されています。具体的には農業、絶滅危惧の生き物、里山里海保全などを研究されています。
12年間にわたる能登での研究経験がある伊藤さんを招き、「のとの里山里海と私たちの未来」というタイトルでお話ししていただきました。伊藤さんからは、ランドスケープアプローチという社会と自然を一体的にとらえる視点から、能登の里山里海はどのような特徴があるのだろうか、どんな歴史をたどってきたんだろうか、どんな活用の仕方があるんだろうか。こうした話題提供していただき、里山里海にかける期待とか希望に向けた対話のきっかけをつくっていただきました。
印象的だったのは、能登では里山と里海が同所的に存在するという特徴が、生態系の多様性と人の暮らしの多様性の基盤になってるという点でした。
また、歴史を振り返ってみると、能登の里山里海はいくども大きな社会変化や危機に襲われてきたのですが、その時々に違う形で対応してきたというお話も大変示唆的でした。今回の地震および水害に対して、どのような対応ができるのでしょうか。
そして、能登の人たちがそこで暮らす理由を強く尊重しながら、私たちのような外部者がどのようにかかわって、何ができるのかという問題提起も重要なポイントだと思いました。
以下、伊藤さんの話題提供の要約です。
ランドスケープとしての里山里海
里山里海とは何か。学術的には「里山は農林業や日々の暮らしの目的のために人為的に管理・利用されて形成されてきた農村景観であり、里海は漁業等の目的で管理・利用されてきた沿岸景観」といえます。どちらも高い生産性と生物多様性を有しています。人が管理をすることによって健全に保たれてきたのですが、人と自然の関係性は、時代ごとで大分異なります。
私は里山里海を景観としてとらえています。景観とは英語ではランドスケープと呼ばれます。ランドスケープという言葉には、単なる景色という意味以上に、人と自然がお互い折り合いを付けながらつくり上げてきたものという意味が含まれています。ランドスケープは世界農業遺産を理解する時にとても重要なキーワードになります。
能登の里山里海の特徴
能登の里山里海にはいろいろな景観があって多種多様な環境があり、そのことが生物多様性を育んでいます。生物多様性に富んだ里山里海は私たちにたくさんの恵みを与えてくれます。燃料、建築材、季節ごとの食材。こういったものを維持するために生物多様性は大事だということが広く知られています。
今回の震災で、里山里海はライフラインが断絶した中で避難してる方々の命を救う一つの要因になったともいわれています。山からの湧き水だったりとか古井戸の水だったり、薪、へんざいもんと呼ばれるような畑の野菜だったり。そして、ただそれらが存在したから使えたわけではありません。そこに住んでる人たちが自然を利用する知識とか技術、経験をもっていたからこそ、それをうまく利用できたのです。里山里海の存在がいざという時の保険、安心、安全の材料になるという側面に今回の震災で改めて気が付いたと思っています。
能登の里海についてですが、外浦と内浦では、大きく海岸の環境が違います。岩場がある、砂浜がある、干潟があるという以外にも、潮あたりによる環境の差異があったり、もう少し広いスケールで見れば表層を流れる暖かい対馬海流と、日本海固有水と呼ばれる冷たい深層水が共にあることで、それぞれの環境に適応した生物が生息することで、能登の里海の生物多様性を豊かにしていると考えられています。
能登は全国でもっとも藻場面積が大きい海域だといわれています。また漁獲データなどを元に解析した日本沿岸の魚類の生物多様性を表わした地図を見ると、一般的に太平洋側のほうで魚種数は多いのですが、日本海側では能登半島の周りで種数が多くなっています。これには藻場がたくさんあることも大きく関連してると思います。しかしながら、温暖化の影響で最近海水温が徐々に上がり始めていて、特に内浦側の能登町沿岸や七尾湾で、藻場が急激に減っていることが研究者の調査で分かっています。能登の里海の環境は大きく変化しています。
里海も里山同様、いろいろな生態系サービスがあります。能登の人が大好きなカジメ(アラメやツルアラメを含む)のほかにも30種類以上の海藻を食べています。このような地域は日本で他にないと思っています。藻場は能登の里海の豊かさの象徴であり、かつそこに住んでる人の海藻に関する知識、知恵が豊富だからこそ活用されていると思っています。
それを裏付けているのが、マイスタープログラムの受講生が、能登でどんな食材、里山里海の恵みが使われているのかについて地域の方に聞き取りをして、見える化した調査結果です。珠洲市の狼煙(のろし)地区では山菜だと32種類、海産物25種類、キノコ11種類、これらを季節に応じて使い分けていることがわかりました。このように市民がデータを集めて、自分たちのことを調べることは、すごく大事なことだと改めて思っています。
このように、能登の里山里海にはそれぞれに多種多様な環境があって、そこでいろいろな生態系サービス、恵みが得られることを話しました。さて、里山も里海も日本全国いろいろなところにあるのに、なぜ能登半島の里山里海が貴重な存在なのかと思われる方もいると思います。その理由は、能登では里山と里海が近しい関係で隣り合って存在している、つまり同所的に存在していることに由来すると考えています。
この里山と里海が同所的に存在することで得られるメリットとして、半農半漁のような、複数のなりわいによって生計が成立できることが挙げられます。もちろん広い農地がないので、仕方なくという部分もありますが、それでもこの土地で生きていけるのは、複数の里山里海両方の恵みを使えるからということに他ならないと思っています。
他にも、海と山の幸を両方がある豊かな食文化や、地滑り地帯での棚田の開墾が生んだ千枚田の景観。海水と薪を近場で得られる地の利を生かした揚げ浜式製塩。アカテガニやモクズガニなど里山と里海を行き来する生き物が暮らす豊かな生態系。これらはいずれも、この里山里海が両方近くに存在するということで初めて得られる生態系サービスです。このことを能登ならではの里山里海の特徴としてもっとアピールしていけばいいと思います。
世界農業遺産
能登地域GIAHS推進協議会が作成した第3期アクションプランを見てみると、能登の里山里海の暮らしは「里山をめぐる農林水産業システム」「里海をめぐる農林水産業システム」「米づくりをめぐる農林水産業システム」「文化・信仰をめぐる農林水産業システム」という4つのサブシステムがお互いに連携し合いながら全体が関わりあって成り立っていることが示されています。これこそが、能登の里山里海が世界農業遺産であることの本質だと思います。このシステムという言葉は今後の里山里海をどう活かしていくか考える上でとても重要なキーワードになると思っています。
さて改めて世界農業遺産はどのような制度かを確認すると、世界的に見て次世代に継承すべき重要な農林業のシステムだということが世界的に認められた証だと考えられます。そのため、能登の里山里海は決してローカルの価値だけで閉じるものではなく、世界とつながっている、世界に発信できる価値を持っているのです。
日本には世界農業遺産が15地域にあります。どこを見ても非常にユニークな農林業システムがありますが、3つのタイプに分けることができます。1つはある農法に焦点を当てた世界農業遺産で、静岡の茶草場農法に代表されるものです。2つ目が遺伝資源保全型といって、兵庫県美方地方の但馬牛、黒毛和種のDNA、品種が伝統的に守られててきたことが評価されたものです。最後が先ほど紹介したランドスケープ型と呼ばれるものです。能登半島はこちらに属しています。
どれも、もちろん世界農業遺産として価値がありますが、特定の業界内だけにとどまらず地域全体に効果が波及する点において、3つ目のランドスケープ型の認定地域は利点があります。ランドスケープ型は、認定地域内の様々な人が力を合わせて、里山里海を活かした地域振興ができやすい認定タイプになっているからです。
里山里海の歴史
今、能登で起きている里山里海にまつわる問題は、2つに集約できると思います。1つが、人の手によって守られてきた里山里海の環境が、過疎高齢化によって人が不足して管理がままならなくなって維持できなくなっている、それに伴い生態系が劣化しているという自然側の問題です。2つ目が地域に暮らす人のなりわいが経済的に成り立たなくなってきて、集落の祭りが維持できなくなってしまったとか、農業用水路の管理ができなくなってしまったとか、人間側の問題です。それらを解決するために、これまでの里山里海がどのような経過をたどってきたのかを振り返ることが一つヒントにつながると思っています。
能登半島の里山が歴史的にどのように活用されてきたのかを考える時、代表的な産業が3つあります。1つは、珠洲焼と呼ばれる焼き物の産業です。これは当時10世紀から始まって14世紀まで非常にたくさんの焼き物が作られて、能登以外の全国に輸出されていました。発掘された珠洲焼の釉薬を分析することで、当時広葉樹の薪を使って焼き物を焼いていたということが分かっていて、里山もそのために使われていたと想像しています。珠洲焼は他産地との競合など、外的な要因によって急速に途絶えて15世紀後半に作られなくなったという歴史があります。
珠洲焼に代わる里山の利用の仕方として、揚げ浜式塩田で作られる塩を焼くための燃料として、たくさんの山の木が使われるようになりました。塩田のある沿岸部の森林だけではなく、内陸側の柳田地区とかからもたくさんの薪や柴が沿岸部に輸出、拠出されていたことが分かっています。能登の揚げ浜式塩田は8世紀にはじまり、江戸時代から藩の保護を受けて徐々に拡大し、明治20年ごろにピークを迎えます。
しかし、塩づくりも明治時代後半になると急速に衰退し、それに代わる産業として今度は瓦産業が生まれてきました。珠洲の雲津海岸にたくさんの薪が積まれて瓦が焼かれていた写真が残っています。戦後年間500万枚以上焼かれた能登瓦も、昭和40年ぐらいになると他産地との競合など外的な要因で衰退をして、その後里山の樹木を使った主要な産業が発達することなく、現在に至っています。
このように、産業の変化に伴って里山の在り方、使われ方は時代ごとに変わってきました。山だけではなく田んぼもそうだと思っています。こちらは輪島の千枚田の明治の頃の風景図です。注目してほしいのは、この沿岸部に塩田が広がっていたことです。かつての塩田後は日本海の荒波による浸食で一旦は海に消えてしまいましたが、今回の震災による海岸隆起で再び陸地が姿を現すことになりました。
千枚田はいろいろな苦難の歴史をたどってきました。大きな出来事としては1684年の大規模地滑りによる棚田崩壊とその後の耕作放棄があって、そこから200年近く荒れた時代が続いていたようです。明治の頃までに少しずつ復興がされてきて、先ほど示したような壮大な景観になりました。しかし再び1970年代には減反政策や高齢化の影響で田んぼが作られなくなって耕作放棄地が増えてしまいました。そこから外部の方の支援により棚田再生運動が始まって、それに触発された地元の方の努力もあって現在では世界農業遺産にも認定されるようになりました。
今私たちが見ている地震後の傷ついた里山里海の景観は本当に痛ましいですが、歴史をたどれば様々な苦難を乗り越えてきた経験が能登にはある、そこに私たち何かヒントを見いだすことができるのではないかと考えています。
時代によって里山は姿を変えてきたということをまずは皆さんに知ってほしいと思います。そして、今の時代に合った里山の利用の仕方はきっとあるんじゃないかと。そこをこれから皆さんと一緒に考えていけたらと思っています。
能登の未来に向けて
今、石川県では創造的復興プランという計画を作っています。その中で「教訓を踏まえた災害に強い地域づくり」「能登の特色あるなりわいの再建」「暮らしとコミュニティの再建」「誰もが安全・安心に暮らし、学ぶことができる環境・地域づくり」が大きな方針として挙げられています。私はここで里山里海が果たす役割がたくさんあると思っています。その一つが、この能登半島特定公園のリ・デザインとして復興プランに挙げられている内容です。里山里海に囲まれた多様な生物多様性、資源を活用して、能登の里山里海の魅力を生かした新しい産業をつくっていくことが期待されています。
そして、トキを復興のシンボルにした能登の里山里海の再生です。2026年に能登での放鳥が計画されています。
こうした取り組みを進める中で、キーワードとして取り上げられているのが関係人口です。これは能登半島に住んでいる人だけではなくて、半島以外の地域に住んでらっしゃる方とも力を合わせて、一緒に取り組みを進めていこうということです。復興ボランティアとか移住という関わり方だけではなくて、二地域居住など多様なかかわり方を活かしていこうということです。
この関係人口のことを考えた時、私の心にまず思い浮かんだのは、減反政策による千枚田の耕作放棄化がおきた時に、愛知県立安城東高校の高校生たちが10年以上にわたって修学旅行を通して通い続けて草刈り十字軍運動を行い、その姿に地元の人が背中を押されて千枚田の復興が進んだということです。なので長期にわたり伴走してくださることの価値を、能登の人は特によく分かっているんじゃないかと思っています。震災復興においても様々な分野での関係人口が生み出す効果に期待してるところです。
この関係人口を活かした震災復興において、能登の里山里海を復興の土台として考えていく際に重要な視点として、私は改めて「世界農業遺産は能登の暮らしそのもの」という石川県が提唱したキャッチフレーズを取りあげたいと思います。このキャッチフレーズが提唱された当初は、何か曖昧な印象をもっていたのですが、「人あっての里山里海」を考えるならば、本質を捉えた象徴的なキャッチフレーズだなと再評価しているところです。
人が暮らしていてこその里山里海。そして、能登に思いを持つ「里の人」(里人)がいてこその関係人口だと思っています。関係人口だけが盛んになっても、おそらくそれでは能登らしい復興が実現したとはいえないと思います。能登に暮らす人が能登に暮らし続けたいと思える理由をしっかり整えていくことが復興の基盤になると思っています。根っこを持つこと、土台を整えること。これらを出発点にしてこれから里山里海を活かした復興に取り組んでいけたらいいと期待をしています。
その参考として震災前から取り組まれている能登での2つの事例を紹介します。1つが製炭業を営まれている大野さんが代表を務める「ノトハハソ」という株式会社の取り組みです。売られている炭のパッケージに何やら数字が書かれているのにお気付きでしょうか。大野さんが作られてる炭が大気中の二酸化炭素を年間61.7トン削減していることを見えるかたちにしたものです。写真はその炭の材料になるクヌギ林に、かつて耕作放棄地だった時には暮らしていなかったいろいろな森林生の生き物が戻ってきて、生物多様性が2.4倍に増えたことを表わしています。製炭という伝統的な能登の里山里海のなりわいに環境価値というプラスアルファを加えることで新しい価値を提案する取り組みです。ノトハハソの炭の箱に同封している手紙には6つの新たな価値が示されています。①能登で炭やきのなりわいを振興することで耕作放棄地が有効活用されてクヌギ林に再生したこと、それによって②生き物が増えたということ、③大気中の二酸化炭素の量が減りましたということ、④伝統産業の炭やきが継承されているということ、⑤伝統文化である茶道を支えているということ、そして、⑥炭やきというなりわいが能登で再興することで、能登で暮らしていける人が増えるっていうこと。大野さんたちはこの6つの新しい価値を炭やきに見いだしています。これはエリアベースで包括的な課題解決を目指す、まさにランドスケープアプローチです。里山里海を守る時に環境のことだけを見るのではなくて社会とか経済のことを一緒に考えて解決策を考えていく。このアプローチを大野さんたちは実践されていると理解をしています。
2023年、ここのクヌギ林を環境省は自然共生サイトとして認定しました。自然共生サイトとは、農地や林地など生物多様性を守る目的で管理しているところではなくても、結果的に生物多様性を守られてる場所になっているところを認定する制度です。昨年から正式に制度が動き出しています。ノトハハソのクヌギの森は石川県第1号の自然共生サイトとして認定を受けています。この自然共生サイトという取り組みでは、企業の森とかワイン用のブドウ畑、保育園や幼稚園の園庭だとか、規模の大小問わずいろいろな場所が認定を受けています。この自然共生サイトを能登半島のたくさんの場所で増やして、「里山里海システム」の1つとしてたくさん増やしていけたらいいと考えています。
もう一つの事例が輪島市三井町に住む萩野さんご夫妻らが取り組む「まるやま組」です。これは自分たちが住んでいる地域の里山の自然の中にどんな生き物が暮らしているのか、自分たちで調べて記録することを通じて、古くて新しい能登の価値を市民の手で創造する活動です。そこに私は植物の生態学者として調査のお手伝いに入っています。水生動物の専門家の方も一緒に参加して、この地域にいろいろな生き物がいることが分かってきました。この活動は単に生き物を調べるだけではありません。そこから得られる里山の恵みとか地元の人の技術や知恵などを、萩野さんがデザイナーとしての感性を通じて見た人が楽しく、ワクワクするように表現します。里山を通してさまざまな技術や知識を共有する「学びの場」をつくることによって、みんながそれぞれに学ぶものを得れるのです。そして里山で採れた山菜や野菜とかを料理して一緒に味わって共有する。里山の価値をいろいろな方面から引き出して共有する場をつくったことが、このまるやま組の活動の価値だと思っています。輪島市だけではなく、能登の各地域でこういった活動が広がれば高齢者の知恵を若い人が受け取って、それを新しい価値として表現する機会にもつながっていくと思っています。
里山里海のつながり
最後に今日のお話をまとめたいと思います。里山里海と人とのつながりを増やすこと、これが里山里海の復興の手段と考えています。先ほど紹介した農林業システムという大きなシステムの中に自分も1人の参加者として、あるいは主人公としてつながりをつくっていくことが、里山里海の保全につながっていくのかと思っています。能登の人が生産したものを買って消費することももちろん関係性の一つですし、観光とか体験交流を通して能登の人とつながりをつくるのもつながりの仕方だし、「まるやま組」のような学びを通してつながるということもあるでしょう。そして、復興ボランティアとかお祭りのボランティアとか、いろいろなかたちで直接的に地域の方の力になるということもつながりでしょう。それ以外のつながり方についても、みなさんの中からいろいろなアイデアが生まれてくると思うので、ぜひ、一緒に考えていけたらと思っています。
復興の土台としての里山里海の価値について、今日はみなさんと共有できたかと思っています。ただ、この土台となる里山里海は今大きく変化して、地震で傷ついたものであったりとか人が管理しなくなって劣化したりとか、そういった現状にあるのも現実です。外部の力とか公的支援が必要なところは、もちろんそういった力で修復をしつつ、私たち一人一人ができることも同時に探しながら、この両方がうまく連動することによって、里山里海を復興の土台にしていけることができるのではと思います。その方法をぜひ、これからみなさんと一緒に考えていけたらと思っています。
【対話】
Aさん:石川県に住んでいながら能登の価値を改めて知りました。能登半島の企業や人のつながりを本当に守らなきゃいけないと考えが変わりました。一方、すごく大きな動きが必要だなと思いました。国を動かして強烈なリーダーシップで動きをつくってくれる仕組みがあったらとも思います。このままじゃちょっと寂しすぎます。地震と水害、何てことをしてくれたんだっていってもしょうがないですが、今すごく暗い気持ちなんです。何か大きな力を呼び寄せるような方策がないでしょうか。
伊藤さん:国が大きな予算を付けて、何か大きなものをつくることもあるのかもしれませんが、能登の人たちが、能登が見捨てられた土地ではなくて希望のある土地として、みんなが考えてくれている、希望が見えることが大きな意味を持っていると思います。それに付随して、いろいろなプロジェクトが能登で実際に起っていくと思うんです。まずは希望をどのように見せるのかを考えたらいいのかなと。能登の人が意味があるものと感じるものをつくっていく、予算を使っていく必要があると思います。希望の見せ方をぜひ考えたいと思ってはいます。
Bさん:ランドスケープっていう見方で能登の里山里海をまとめてくださいました。例えば、復興支援として国から大きな予算が能登に来ると。モデルとして示された炭焼きとか揚げ浜塩田とか、予算が来るから一気に規模を10倍にしましょう。それが能登の復興になるのかなと。モデルとしてサステイナビリティーがあるのかな。多分、違うと思います。今日示していただいたモデルは、大きな動きが必要だと漠然と考えられたのは鋭いと思います。
ただちょっと違うんです。例えば、製塩の塩の行き先は地元ではなくて、明確な消費地があったわけです。どこに送られてたか。そういったことは今日のランドスケープのモデルの中には入ってない。そこをもう少し明確にビジョン化しないと、次のステップを行くためのモデルとしてまだ弱いと思います。
例えば、能登の海藻豊かな資源。かつて、たくさん輸出されてました。しかし、どこに運ばれてたか知らない人ばっかりです。今はもう運ばれてないからなんです。閉じた一つのまとまりのあるランドスケープだけではなくて、「なりわい」がどのように他の地域とつながっていって、他の地域の文化とつながっていたのかというところまで示す必要があると思います。奥能登は金沢よりもはるかに時代の変化に合わせてたくさんチャレンジして、どんどん中身が変わってきた地域なんです。金沢の人は奥能登を見る時に、何となく昔からの生活をしてる場所と見たがりますが実は全然違います。まず見方を変える必要があると思います。もう一つは、クローズドなランドスケープではなくてじゃなく他の地域とどれぐらいつながっていたのかという視点をもっと入れる必要があると思います。
伊藤さん:塩の話だと岐阜とつながってたんです。塩ブリです。飛騨の人たちがお正月を迎える時のものです。能登半島で作られた塩で保存食として作られたブリがブリ街道を通してやってきていました。瓦もそうですし、珠洲焼もそう。全国に能登の里山由来の物産が輸出されていたことが、まず新鮮な驚きです、それを今の時代にどんなかたちで産業として里山を活かしていけるのかについては、あまり具体的なアイデアがあるわけではないですが、大きな仕事、大きな産業の流れをつくれれば素晴らしいです。ただそれをできるローカルの循環もまた同じように大事なことだと思っています。今、考えているのは能登半島に広がった水田の耕作放棄地に生えているヨシとかを、ただ景観を維持するためだけに刈るのではなく、昔は田んぼで当たり前のようにやられていた刈敷と言われるやり方を改良して、現代の能登の水田で活かしていく方法がないか。研究を進めています。
例えば、CO2の固定という新しい分脈で農業の新しいデザインがされています。農地に有機物として炭素を固定することで、農業が地球温暖化防止に貢献していくやり方が国の計画の中でも組み込まれています。先進地として能登を、新しい水田農業をデザインしていくことができたらいいと思って研究をしています。
Cさん:能登を全体的な枠組みの中で考える必要があるということについて、私も非常に同感なんです。能登は炭の産地として全国的にも有名な場所です。その炭は割炭と言いまして、普通のお茶に使うような炭じゃないんです。
1950年代、せっせとコナラを植えてました。能登の山、コナラの山は歴史的にちゃんと植えてきて作ったものなんです。能登の炭は全部割炭といって大きな木にして、そして、それを割って焼いて工業的に使っていたんです。ともかく能登を考える場合には全国的な、あるいは世界的な枠組みの中で考える必要があると思います。1つの問題は里山と里海の結合です。指摘されたとおり、非常に重要な点だと思います。能登の里山は単なる里山じゃないんです。海と結び付いてるんです。だから、私が金沢大学の臨海実験所にいた時、小木に魚屋さんがなかったんです。夕方に懐中電灯を持っていって、エビの目が光って見えるんです。それを捕まえて餌にすると、魚がどれだけでも捕まえられるんです。それを使って魚の研究をした記憶があります。こういうことができるのが能登の一つの特徴で、全国的にも非常に面白いことです。
能登は軽井沢みたいな方向なら、そこを目指して来る人に対してサービスを提供することもあり得ると思います。
Dさん:里山と里海が近いことが大変印象に残りました。つながりの大事さをどのように説明すると能登の強み、魅力をうまく発信できるかと考えています。つながりを説明できる単位にはどういうものがあるだろうか。関係人口ならば何人っていう説明もできると思います。塩だとキログラム、トンかもしれません。能登にはこれだけの単位でその豊かさを説明できるんですよといった、子どものワークみたいですが、そういうことから説明できたら面白いかなと思います。里山と里海が近いんならその距離をメーターで説明するとか面積で説明するとか。伊藤先生、何種類あるんでしょうか。
伊藤さん:数字を見た時に人々がどういうイメージを持つのか、感性に訴えかける部分がとても大事だと思っています。おそらく、数字にするとその部分が失われてしまう部分もあると思います。私は人に共感してもらうための表現の仕方としては、藻場の面積の表現であったようなアートで表現することが大きいと思っています。幸い能登には芸術祭もあって、たくさんの素晴らしいアーティストの方が来てくださっています、そういった方々にこの能登の里山里海の魅力をアートとして表現してもらうことが、一つ大事と思っています。
あと、重要指数だと思っているのは能登の高校生とか中学生たちが、将来また能登に戻って暮らしたいと思っている率です。能登の復興の指数としてモニタリングしていくことが大事だと思います。子どもたちが能登を大事にしたいと思う気持ちにつながらなかったら、いろいろな努力がおそらく水の泡になると思います。
Eさん:金沢大学の学生です。単位と聞いて私が真っ先に思ったのは、菊地先生の講義を受講してるのですが、サンゴ礁を保護した場合の経済効果を話されていました。お金という数値になった時に自分の中でリアルに感じられたので、単位として円っていうのも大きいものではないかと思います。
Fさん:里山里海が大事だとか生物多様性とか、それから炭、塩とか地味なものがすごく大事だということでした。ここに集まってる人はそれに共感する人だと思うんです。しかし、震災復興の話にしても、大きな政策の話にしても、今日の話に共感しないようなかたちで政策が作られたりすることがあると思います。里山里海が大事だよねというようなことを無視したり、乱暴に扱ったり、そういう考え方もたくさんあると思います。アンチテーゼなり反論をしたい人がいると思いました。例えば、里山撤退論という議論がありますよね。それについても、一方で整理して、どこが心配かとかそういうことも同時にやらないと、いいねいいねっていうだけでは駄目ではないかなと思います。かみ合う議論ですね。ひょっとしたらかみ合わないかもしれませんが。
菊地:人口減少時代を迎え、国の予算も限られている中、コストがかかる場所からは撤退して、機能を集約させようという議論ですね。
外部者と能登の人が一緒になって能登の未来を考えて、何か具体的な行動を1つでも起こせないか、そういうことも話し合えたらと思っています。能登の地域特性を理解した上で、外とのつながりがあることが、実は能登の非常に大きな特徴でもある。どのような伝え方がいいのか、どのような単位で考えればいいかという話も出ました。里山里海が大事ですよといってもほとんど理解されない場面もたくさんあります。では、理解しない人たちはどんなことを考えてるんだろうか。そういう人たちの話を聞くことも必要ですね。
伊藤さん:復興に関係する撤退論もそうだし、新しい何か仕組みを大きく導入してかなりドラスティックに変えていこうっていう話とかも、里山里海を完全に無視して何かやろうっていう話ではないと思います。その人たちの視点の中に、里山里海の利用といったローカルというのかミクロの話があまり伝わってないため、入れ違いが起きてしまっているのかもしれません。地元の人が大事にしてたものが見逃されてしまったり、知らないうちに大きな取り組みの中で消されてしまうことが不安なことだと思います。ミクロの話とかローカルな話の見える化といっていのでしょうか、共有していく機会をもっともっと増やしていく必要があると思っています。もっとたくさんの人にローカルな価値を知ってもらえる発信の仕方も合わせて必要と思っています。
Gさん:地震があって水害があって、今日本で能登のことを考えてない人あんまりいないと思います。能登の出身ですが、「七尾市」っていっても「それはどこ?」、石川県といっても東北の石川県とか中国地方とか言われるぐらいだったのです。でも、今は奥能登はどこかみんな知ってると思うんです。だから、逆にチャンスだと思うんです。何かこのチャンスを活かせいないかなと。安全な位置からなので恥ずかしいのですが、このことをすごく思っています。一つネックだなと思うのは能登の年配の人の閉鎖性ですよね。すごく排他的なんです。それを何とかできないかなと思っています。
Aさん:被災された能登のみなさんがどうしたいのか、その考えを知りたいとずっと思ってました。排他的な人たちが多いとおっしゃいましたけど、その人たちがどういう人生設計をされているのか、どうしていきたいのか。
Hさん:能登町に住んでいます。私の周りでも地震があって仕方なく違う地域に行かれた方が結構いますが、おそらく今までで一番能登にたくさん人が来ていると思います。最初は自衛隊を含めた支援の方が来て、ボランティアの方も来て、今は建築業の方もたくさん来ていています。能登のためを思って来てこられる方がたくさんいるので、そういう方とつながりをつくって、長く能登を支援してもらうとか、能登に定住、移住してくるような方とのつながりのつくり方ができないのかなと。こんなに能登に人が来てくれることはないと思いますので、今がチャンスというのはあると思ってます。
能登の外浦でかなり隆起をして地面が新しくできました。自然海岸が新しくできたので、そういうものを今度は開発してしまうのではなく、残していくっていう方向。例えば、ジオパークとか世界遺産といったかたちで、新しくできた自然海岸残せたらいいなと思います。
Bさん:解体業者の人とかすごく来られています。能登に来て海岸でお弁当とか食べたりとか新しい経験すごくされてると思うんです。私たちが海岸で調査をしていたら、若い解体業者の人が興味持たれて「ここ泳いでもいいんですか」っていわれたので、「泳いでいいですよ」といったらすごく楽しんでおられたんです。彼らは彼らで決められた仕事をして、決められた場所で泊まっているのでしょう。もしこういった場、先生方とか住民だけだったら、なかなか解体業者と何かしましょうなんて話は出てこないです。でも、今ここに集まられてない人の中には、何かそういう仕組みとか、きっかけとかつくれる人がおられたらそれはすごいことだと思います。関係人口という話が出ましたが、本気をやるのなら、こういうことが大事ではないかと感じています。
菊地: ボランティアが注目されていますが、確かに解体業者というように仕事として入っている人たちと、能登の里山里海を一緒に話していくことは、非常に重要な点だと思いました。なかなか私たちの情報届かないし、なかなか来てくれないかもしれませんが、復旧・復興の現場の担い手なわけですよね。つながる場面もつくっていきたいです。
日本は少子高齢化という課題を抱えていますが、能登はその課題先進地域ともいわれてきました。課題として先進的であると同時に、これまでの歴史を踏まえると、能登ならではの先進的な取り組みもありましたし、新しいものを取り入れる文化的基盤があることも理解できました。もちろん、外部の人だけで考えることはできませんし、するべきでもありません。能登のみなさんが何を望んでいて、業者の人やボランティアの人も含めて一緒に考えることが大事だと思います。力はありませんが、そういう場をつくっていきたいと思っています。
石川県立図書館さんから、能登里山里海、世界農業遺産関係の本を集めていただきました。
ありがとうございます。