異分野融合?

コロナ禍ということもあり、なかなか出張にいけません。ここ数年は、これまで行ってきた調査を原稿にすることに力を入れてきました。現場の人が使いやすいデータを早く公表することに意義があると考え、資料や調査報告として何本か公表しましたが、どこかスッキリしない気持ちもあります。
小さなことを着実に積み重ねていくことは、とても重要だと思う一方、もう少し大きなことに取り組んでみたいという気持ちが湧いてきています。ずっと宿題になっているレジデント型研究の研究を進めたい?今の私が取り組むテーマは何か?ずっと迷っている気がしています。
また、公表まで時間がかかりすぎていることもスッキリしない要因の一つかもしれません。主に投稿先の事務局の問題なのですが、事務局側の視点に立てば、異分野の原稿が投稿されてきた場合、取り扱いに戸惑うことも多いだろうと推測します。著者の私としても文章の形式や査読コメントの作法が異なっていたりして、戸惑うこと多々ありです。こうしたやりとりをしていても、まだまだ異分野融合の研究が定着していないことを実感しています。

私は、兵庫県立コウノトリの郷公園や総合地球環境学研究所などで、異分野融合型・実践的な研究プロジェクトに参加してきました。現在の所属先の金沢大学先端観光科学研究センターも異分野融合による観光科学を確立しようとしています。環境社会学を含む社会学は批判科学というアイデンティが強く、政策などとはなかなか接合してきませんでした。社会学の論文には個人の価値が反映され、研究は一人で完結することが多いため、そもそも共著論文自体が稀です。環境社会学は環境分野で一定の存在感を示す一方、異分野融合型の研究ではマイナーな存在のままなのは、こうした理由もあるのかもしれません。

コウノトリの野生復帰に参加し自然科学者や行政関係者と一緒に仕事を始めた頃、研究は基本一人でおこなうもの、批判性こそ社会学の強みであるという思いが強かったこともあり、戸惑うことばかりでした。ただ、現場で格闘しながら研究をすすめていると、少しづつ面白いと思ってくれる異分野の人が現れるようになり、色々と相談されたり、お誘いを受けるようになりました。相談されたら、あまり深く考えずに引き受けてしまう性格もあり、なんか、ずっとこんなことばかりをしている気がします。

大学は研究者に数値目標やコスパを求めます。論文数やインパクトファクターなどです。はっきり言って、異分野融合型・実践的な研究のコスパは悪いです(私の能力不足もありますが)。異分野、異業種の人とのコミュニケーションは、それなりにコストがかかります。投稿先が限られていますし、せっかく論文にしても評価されにくいことも多々あります。また論文を書いたら終わりではありません。成果を幅広く考える必要もあります。

それでも異分野融合や実践的な研究を進めるのはなぜか?
現実の諸々の問題を、なんとかしよう(「ほっとけない」)、解決したいと思うのならば、異分野異業種の人と一緒にした方が結果に結びつきやすいと思うからです。現実の問題は複雑であり、一つの学問領域で手に負えるものではありません。問題解決志向をもてば、ある意味必然的に異分野融合型になってくると思っています。現場は包括的なのです。複雑かつ包括的な課題に向き合う時、研究の網の目を変えることが重要だと考えています。専門分野(私の場合、環境社会学)の精度を上げるのではなく(網の目を小さくする)、異分野の人でも理解できること、実践に活かせることを重視するのです(ほどよい網の目にする)。専門分野では、あまり評価されないかもしれませんが(コスパが悪い)、互いの網の目がうまく噛み合えば、一人ではできない創造性が発揮される瞬間を味わうこともできます。

いろいろリクツを書きましたが、単純に刺激的で楽しいんですよ。異分野の人とのコミュニケーションは大変。だけど、相手を理解しようとし、問題を共有できれば、一気に創造的になります。自分の限界に気づき、異分野の人の強みもわかってきます。もちろん、相手の方も、自分の狭い専門領域を解放してお付き合いしてくれなければ、なかなか難しいですけどね。

相手あっての異分野研究、実践的な研究です。

 

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