コウノトリ野生復帰の新たな目標を考える
今年度から、兵庫県豊岡市の「コウノトリ野生復帰の新たな目標を考える懇話会」の座長を務めることになりました。
メンバーは20代から60代までの男女11人。コウノトリ野生復帰の舞台にあまり登場してこなかった人たちです。ちなみに僕以外のみなさんは豊岡在住です。
そもそも、なぜ、いま、新たな目標設定なのでしょうか?
5羽のコウノトリが豊岡の大空に放たれたのは、2005年9月24日のこと。2007年には繁殖に成功。その後順調に数は増え、いまでは100羽以上のコウノトリが豊岡をはじめとする日本各地の大空を舞っています。こうして振り返ると、野生復帰は「大成功」といっていいでしょう。
コウノトリ野生復帰が本格的に動き出したのは1990年代に入って間もなくの頃。飼育下繁殖の成功をうけて、元々の生息地にもどそうということになったのです。当時、僕はこの取り組みを全然知りませんでしたが、コウノトリ野生復帰なんて「ホラ話」に近いものとして受け止められたのではないかと推測しています。でも、兵庫県や豊岡市、文化庁、研究者、政治家、地元の関係者らの熱意と尽力によって、1999年には兵庫県立コウノトリの郷公園が開園。2002年には豊岡市コウノトリ共生課が設置。郷公園やコウノトリ共生課を拠点に多様な関係者による取り組みが進み、2005年の放鳥となったのです。
これだけ短期間で「ホラ話」に近いことを実現した。
コウノトリを軸にして、人と自然のかかわりを創り直す取り組みが多方面で進んでいて、いつしか世界的な先進事例として注目されるようになりました。このプロセスにおいては、兵庫県や豊岡市といった行政、郷公園の研究者といった人たちが果たした役割は大きかった。誤解を恐れずに強引にまとめると、強烈な行政主導が機能したからこその「大成功」だったと思うのです。もちろん、農家や市民が果たした役割もまた大きかったのですが、行政がイニシアティブを発揮し絵を描いていたからいろいろなことが実現した。変化を好まない前例主義の行政が、世界的にみても全く新しい取り組みを主導した。ここにポイントがあると思っています。
たしかにコウノトリは野生復帰した(もちろん、まだまだという評価も可能でしょう)。
しかし、行政主導で短期間ですすめたがゆえに、「副作用」もいろいろと現れているのではないでしょうか。「コウノトリは行政や研究者がやるものだ」「コウノトリ、もういいんじゃね」。10年以上たっても、コウノトリにかかわる人は増えないし、いつまでもあまり変わらない顔ぶれだ。どんどん高齢化していて、次世代がいない。コウノトリが飛んでいても気にならなくなった。政策の中心課題でもなくなってきた。こうしたことはじんわりくるので、とてもわかりにくい。
野生復帰は、豊岡に暮らす市民の問題とはなりえていなかったのではないか?
野生復帰という「祭り」はいったん終わり、いまやコウノトリは当たり前の存在になってきました。僕は、拙著『「ほっとけない」からの自然再生学』で「生活化」という概念を用いて、コウノトリを派手なアイコンとして外向きに使うだけではなく、市民の暮らしの中で意味づけていくことが課題と論じたことがあります。だから、祭りが終わったこと自体は悪くはないと思う。もう祭りは、そんなにいらない(たまにあるから祭りなのだ。そのうち、また祭りが必要になってくるだろう)。一見「大成功」している今だからこそ、冷めている今だからこそ、当たり前になった今だからこそ、もう一度、市民にとってのコウノトリの位置づけを考える時期ではないか。そこから人と自然のかかわりを創っていく。地域での暮らしを考えていく。
つまり、コウノトリの「生活化」というプロセスをどのように動かすことができるのだろうか。
こんなことを考えていたら、豊岡市長から声がかかりました。一緒に新たな目標を考えてくれ、と。
行政主導で考えるというこれまでと同じ問題を抱えながら、なるべく多くの人たちと対話をしながら考えていきたい。
先日の第1回目の懇話会では、五感を軸に大事にしていきたい風景を話してもらうワークショップをおこないました(日本自然保護協会の「人と自然のふれあい調査」を参考にしました)。初対面の人が多かったのですが、いろいろな話が次から次へと出てきて、時間内では語りつくせないほどには盛り上がりました(もっとゆっくり進めたほうがいいと反省)。
ワークショップのなかで、コウノトリは主役ではなかったけど、多様性を構成する一員ではありました。そして豊岡の自然、人と自然のふれあいの豊かさも再認識できました。
はたして、みんなでどんな目標をつくることができるのか。
とても難しい仕事だけど、ちょっとワクワクしています。